約10.5万人が犠牲となった1923年の関東大震災では、避難先で火災に巻き込まれた例も多く、人口が集中する大都市での避難の在り方に教訓を残した。一方、再び東京を襲う可能性がある首都直下地震では、都内で約453万人が帰宅困難になると見込まれ、「群衆雪崩」など二次災害が危惧される。ただ、収容先確保や一斉帰宅抑制に向けた対策はなお道半ばだ。
 「3.8万人が1時間もたたないぐらいで亡くなった」(名古屋大学の武村雅之特任教授)。東京都墨田区の陸軍被服廠跡(当時)には関東大震災直後、約4万人の避難者が押し寄せた。しかし、四方を火に囲まれ、人々が持ち込んだ大量の家財道具に引火。火災旋風も発生し甚大な犠牲をもたらした。武村氏によると、警察は当初、上野方面に避難させようとしたが、隅田川を渡る橋の手前から出火し断念。やむなく空き地だった被服廠跡に誘導したという。
 関東大震災で犠牲者の9割は焼死だった。木造家屋が密集する中、発生時刻が昼どきで火を使っていた家が多かったことや強風だったことに加え、災害時の避難計画がなかったことも重なり被害拡大を招いた。
 当時よりも耐震や耐火性が進んだ現代の東京で懸念されるのが、鉄道など交通網寸断による帰宅困難者の発生だ。2011年の東日本大震災では、都内で約350万人が帰宅できず駅周辺や路上に人があふれた。都は、30年以内に70%の確率で起きるとされる首都直下地震では、約453万人が帰宅難民化すると想定する。
 東日本大震災で水・食料配布や小学校開放などで支援した自治体も「区内に大きな被害があれば、手厚く支援するのは難しい」(近藤弥生足立区長)と危機感を抱く。
 二次災害回避のため都は、企業が3日分の備蓄を確保し、従業員の一斉帰宅を抑制することを条例で努力義務化。それでも行き場のない人々を66万人と算定し、区や市が民間事業者と協定を結ぶことで必要な一時滞在施設の確保を図っている。
 特に期待されているのは、大手事業者の大型複合施設だ。都心各地で進む大規模再開発では、帰宅困難者収容を事前に計画に盛り込む動きも広がる。「逃げ込める街」を標ぼうする森ビルは、「六本木ヒルズ」や「虎ノ門ヒルズ」などで計1万人の受け入れ体制を整備。関東大震災でも東京駅周辺で救護活動を行った三菱地所は、デジタル掲示板やスマートフォンによる退避先情報の発信基盤構築にも取り組む。
 ただ、こうして都が確保した施設はまだ約44万人分と目標の7割弱にとどまる。課題の一つは、滞在者がけがした場合などの施設側の損害賠償責任だ。「事業者が懸念して協定締結に至らなかったケースもある」(港区防災課)といい、国の補償制度を望む声もある。
 また、企業における一斉帰宅抑制の都条例の認知度は昨年で42%と、ピーク時の68%(16年)から低下した。抑制が効かず想定を超える人数が駅周辺に殺到する恐れは拭えず、意識向上も急務となっている。 
〔写真説明〕関東大震災発生後に皇居前広場に避難した人々。荷車などで大量の家財道具を持ち込んでいるのが分かる。約3・8万人の避難者が亡くなった陸軍被服廠跡では、こうした家財道具に引火した(東京都復興記念館所蔵)
〔写真説明〕東日本大震災発生当日に、JR東京駅の八重洲口で大行列をつくる大勢の帰宅困難者=2011年3月11日、東京都千代田区

(ニュース提供元:時事通信社)