民間企業や市民レベルの対策も急務

CBRNE(シーバーン)という言葉を聞いたことがある人は少なくないだろう。Chemical(化学)、Biological(生物)、Radiological(放射性物質)、Nuclear(核)、Explosive(爆発物)の頭文字を取ったもので、大量破壊兵器に使われるような特殊危険物である。かつて化学兵器が世界で初めて使われたのが今から100年以上も前の第一次世界大戦だった。化学兵器や生物兵器による大量殺傷は急速に発展を続け、ついには第二次世界大戦で日本に原発が落とされるに至った。

今日では、こうした化学兵器や生物兵器が戦争だけでなく、平穏な日常社会の中でもテロや犯罪の手段として手軽に使えるようになり、さらには2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所の事故や、2015年8月に中国天津で起きた大規模倉庫爆発事故でのように、災害や事故でも引き起こされるリスクになった。

CBRNEは全世界共通の脅威になっている。そして、2020年に五輪を開催する日本は、世界のテロリストの標的になり得るかもしれない。自衛隊や消防、警察、自治体、医療機関はもちろん、民間企業や市民レベルでの備えも必要だ。

目次

■CBRNEの誕生

■CBRNEそれぞれの特性

■規模による定義

■イタズラ的な犯行でも大きな混乱

■五輪におけるCBRNEの可能性

■テロと災害から身を守る

■現場を安全にする

■役立つ情報システム

■求められる教育・訓練

■連携の重要性

■2012年ロンドンオリンピックの対策

■市民はいかにそなえる!?

 徹底解説 CBRNE対策

■CBRNEの誕生

CBRNEは、1995年以前の東西冷戦時代には、Atomic(原子力)、Biological(生物)、Chemical(化学)の頭文字を取ってABC兵器と呼ばれていたが、冷戦時代にAtomicからNuclearに変わりNBCと呼ばれるようになり、2000年以降は、放射性物質を爆弾に入れた「ダーティー・ボム(汚い爆弾)」と呼ばれる兵器が出現し、放射性物質(R)が加わった。さらに現在では、インターネットの発達で自家製簡易爆弾の作り方が簡単に入手できるようになり、あちこちのテロで使用されるようになったため、爆発物(E)も取り入れてCBRNEとも呼ばれている。

意外に思えるかもしれないが、日本はCBRNEすべてを経験している数少ない国である。

1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件(C)はまだ記憶に新しいが、あまり知られないことで1993年には同じオウム真理教による亀戸炭疽菌事件(B)があった。これらは、世界中を震撼させたCBRNEテロ事件であった。それ以前では、おそらく1974年の三菱重工ビル爆破事件(E)が戦後最大の国内テロ事件であったろう。そして、世界唯一の被爆国であるほか、2011年3月11日の東日本大震災では、福島原発事故(N/R)を経験した。

地下鉄サリン事件 写真:AP/アフロ

一方、海外では、1979年のスリーマイル島原発事故(N、米国)、1989年のチェルノブイリ原発事故(N、ソビエト連邦(現ウクライナ) )、2001年の米同時多発テロとあわせて世界を震撼させた炭疽菌事件(B、米国)2006年のリトビネンコ中毒死事件(R、英国)、2010年のロンドン同時爆破テロ事件、2013年のボストン・マラソン爆弾テロ事件(E、米国)、2015年にパリで発生した同時多発テロ事件(E、仏)などがある。

■CBRNEそれぞれの特性

さてCBRNEの 1番目の(C)化学兵器については、化学薬品は色々なところから入手が可能である。入手した量に比例してさまざまなものを作ることができる。特定の個人が薬品を多量に入手すれば怪しまれるかもしれないが、購入量が少なければ警察にも察知されにくい。また地下鉄サリン事件のように、きわめて短時間に広範囲にわたり多くの人間の生命を危険に陥れることができる。 

2番目の(B)生物兵器については、化学物質と違い、最初は微量でも培養して増やすことが可能だ。素人では難しいと思われがちだが、知識を持った人であれば、細菌などは水分と栄養物さえあれば家庭のキッチンでも簡単に増やすことができるという。大量に作ることはできなくても、脅し程度の目的には十分なので非常に厄介である。目には見えず、匂いもしない、病原体が成長・増殖して様々な健康被害を引き起こす可能性が伴うのもBの恐ろしさである。

米国CDC(Centers for Disease Control and Prevention:疾病管理予防センター)は、生物テロに使われる可能性がある病原体を、病原性や社会的インパクトに応じてカテゴリーA~Cに分類し、カテゴリー別にそれぞれ具体的な病原体を指定している。カテゴリーAに指定されている炭疽菌、ボツリヌス毒素、ペスト菌、天然痘ウイルス、野兎病菌、ウイルス性出血熱(エボラ出血熱など)は、すべて過去に生物兵器として開発が試みられていたものだ。2001年にアメリカで郵送テロに使われた炭疽菌は、寒天培地の上で簡単に培養することができる。カテゴリーBについても、いくつかの菌は生物兵器として開発されていた。このような病原体がテログループの手に渡ると、テロに使用される可能性が出てくる。

(R)の放射性物質と、(N)は、かなりの知識がないと簡単にテロに使うことはできないが、原発事故など今や身近なリスクと言っていいかもしれない。

ただし、英国で殺害されたアレキサンダー・リトビネンコ(元ソ連国家保安委員会(KGB)、ロシア連邦保安庁(FSB)職員)は、死後、体内からウランの100億倍の比放射能を有する放射性物質ポロニウム210が大量に検出されたと報じられており、こうした放射性物質がテロ行為などで使われる危険性は否定することができない。

そして、個人レベルで最も簡単に作れてテロに用いられているのが(E)爆発物だ。海外のテロ事例を見ても、爆発物によるものが圧倒的多数を占めている。IED(improvised explosive device:簡易爆弾)による海外の有名なテロ事件を挙げてみると、少し前の事例ではあるが、1995年のオクラホマ・シティー連邦ビルの爆破事件がある。これは米国史上最悪のIEDテロで169人が亡くなる大惨事になった。ここで使われたのは硝酸アンモニウム肥料だが、この事件以降、農薬や肥料の大量購入を警察がチェックするようになったと言われている。また、アトランタ・オリンピック公園爆破事件では、パイプ爆弾が使用された。殺傷力を高めるためにパイプの中に爆発物のほか、釘や金属片を詰められていた。そして、2004年のマドリード列車爆破事件では、携帯電話がタイマーとして使われ、ラッシュアワー時に4列車で10回も爆発が起きた。これも191人という多くの人が犠牲になった。翌年2005年のロンドン同時爆破事件は、地下鉄とバスが標的になったが、この時に使われた爆弾は過酸化アセトンであったと推測されている。81飛行機に乗る時に、チューブや瓶に入っている化粧品をチェックされることがあるが、実は化粧品が過酸化アセトンのもとになるという。

ある専門家によれば、「マニキュア落とし(除光液)の中にはアセトンが入っており、白髪染めの中に過酸化水素が入っている。マニキュア落としと白髪染めを大量に購入して、自動車のバッテリーから硫酸を取り出せば過酸化アセトン爆弾ができる」という。この爆弾作成法は、既にインターネット上に拡散しており簡単に検索できる。今や情報管理は困難だ。

■規模による定義

では、どのくらいの規模の被害を伴うものがCBRNEと呼ばれるのだろう? 実は、事象の定義が明確に決められているわけではない。

CBRNEの専門誌として知られるCBRNE WORLD編集長のGwyn Winfield氏によれば、メリーランド州ピンカートン大のグローバルインテリジェンスサービス(PGIS)が、データベースで7万4000ものテロ攻撃事件を収集しており、その多くがCBRN絡みであるという。モントレー大学は、1900年から2013年の間に、実に1万2000ものCBRN事態を見出しており、FBIのWMD局は、2001年以降だけで2000件のCBRN事件を追っている。なぜ、このような認識の食い違いが出てくるのだろうか? Gwyn氏は、人々が事件をどのように分類するかの一点に起因していると指摘する。

一例を挙げれば、モザンビークで、毒入りのビールを飲んで75人もが死亡した事件があったが、これはCBRNE事件だろうか?ポロニウムで毒殺されたスナンダ・プシュカル女史の例はどうだろう? 

Gwyn氏は、これらは全てCBRNE事態であると言い切る。分類学における類似を見れば凶悪犯罪において、拳銃や小銃が使われることもあれば、ナイフが使われることもある。でも、それは同じく殺人、あるいは傷害致死として分類される。たった一人の人間が化学剤や毒素で殺されたとしても、1000人が死んでも、それはCBRNE攻撃に変わりはないという。つまり、そのスケールは問題ではないのだ。さらに、CBRNE攻撃では、誰かを必ず殺さなければという必然性もない。

■イタズラ的な犯行でも大きな混乱

CBRNEは、その危険性が故に実際にその兵器を使わなくても組織や地域を混乱に陥れる。Gwyn氏がその象徴として挙げるのが白い粉事案だ。

ホン・ミン・トラン氏を知っているだろうか。トランは、500通以上の白い粉の手紙を送ったテロリストとして知られている。6年以上にわたり送り続けた。このような「白い粉事案」は、2001年の炭疽菌レターに端を発して、その恐怖は半端ではなく、人々は奇妙な白い粉を見るや否や、当局に電話した。当局としても、その地域を閉鎖して関係者を除染し、分析のためにサンプルをラボに送らねばならない。結果が出るまでは、そのオフィスは閉鎖となる。この事件を受け、模倣犯たちが白い粉を送り始めた。人々が警察に連絡してチェックを受けるのがわかっていたからである。このような白い粉事案の対象になったのは、銀行から結婚式まで幅広い。連邦政府から地方の消防、ビジネスに至るまで、このコストは膨大であった。損害の総額を推定するのは難しいが、世界規模での損害は、恐らく10億ドルではきかないだろう。

NBCニュースに送りつけられた封筒 出典:Wikipedia

こんな事件があったからか、ある企業では深刻な事件が起きた。会社員Aはいつも遅刻している。再三の注意にも関わらずである。結局は首になった。Aはこれは不当であると考え、復讐しようと決意する。彼は、この会社の給与の支払いが月末の16:00であることを知っていた。そこで、15:00に白い粉満載の小包が会社に届くように図った。会社員Bは、小包を開けた。白い粉が飛び散り、同封の手紙には、これはIS(イスラム国)からで、粉は炭疽菌だぞと書かれていた。Bは警察を呼び、警察は、全員オフィスを出て別の部屋で待機するように命じた。警察はサンプルを取り調べたが、結果が灰色であったため、全員を除染し、ラボ(研究室)での最終結果が出るまで自宅待機を命じた。3日後に、サンプルはよくある妨害物質(検知器には、有害物質と出てくる)と判明し、仕事は再開された。ラボでのコストは大きく、サンプルをダブルチェックし、超勤や増員を必要とした。警察はラボの費用を負担せざるを得ず、時間まで空費した。 

この会社はわずかな期間ではあったが、BCP(事業継続計画)を発動するまでには至らなかったものの、閉鎖によって多くの損害を出してしまった。会社員は、月初めにお金が入らず、銀行への支払いの手数料も含めるとかなりの損害が出た。誰も病気になったりはしなかったが、誰もが金銭的な損害を受けてしまったのだという。

■五輪におけるCBRNEの可能性

CBRNEが今後起きやすい事案としてGwyne氏が最も懸念するのが2020年の東京五輪である。

オリンピックのように、大注目されるイベントにあっては、メディアの関心を引くと同時に、危ない人々も関心を持つ。犯罪者やテロリストにとっては、文化的、財政的に価値の高い人々を襲うことは常に魅力的である。まして、世界のメディアが注目している中でやれるとなれば、最高であろう。サッカーの大会、FIFAワールドカップやUEFA欧州カップのようなものも魅力だが、オリンピックに勝るものはない。過去のテロ攻撃に順番をつけるような試みがあるとすれば、ミュンヘン五輪での出来事(イスラエルのアスリート11人が選手村で殺された殺人事件)が最高位に来るであろう。どんなスポーツチームよりも、ナショナルチームの誇りと存在は標的となる。Gwyn氏は、「その国の希望と夢を打ち砕いてやりたいというのは、テロ集団の根源的な欲求である」とする。その中でも、一番特別なイベントは、やはりオリンピックであるのだと。

■テロと災害から身を守る

さて、CBRNE事象は、テロだけでなく、災害でも引き起こされる。化学テロ、バイオテロ、爆弾テロは明らかに敵意があるが、原発事故や火災などによる爆発事故は自然災害であって、敵意があって引き起こされるものではない。その意図こそ違えど、共通して求められる対策はある。

福島第一原発事故後の様子(出典:東京電力)

では、日本は、これからどうCBRNEに立ち向かえばいいのだろうか。元陸上自衛隊化学学校副校長の濱田昌彦氏は、20年前の地下鉄サリン事件を次のように振り返る。

「地下鉄サリン事件の時の写真を見てみますと、消防署員、駅員、警察の方がいますが、ほとんど皆マスクを装着していません。何か起きているのか分からないためです。私の先輩の自衛隊員が霞が関の現場に駆け付けた時、除染のために駅の構内に入っていったのですが、マスクをつけていない警察官が一緒について来ようとしたそうです。その先輩はすぐ警察を避難させました。そのぐらい何が起きているか分からない状態だったのです」。

対応にあたるファーストレスポンダー(警察や消防、医療関係者ら)に求められる対策の基本はまず自分の身を守ることだ。そのためには個人用保護具(PPE:Personal Protective Equipment)を必要な場面で正しく使用できるようにしなくてはならない。

PPEは、適切な耐性のあるものを正しく着用するという物理的な要素と技術的な要素に加え、人体および心理面への負荷も考えておく必要がある。防護スーツには2つのタイプがある。気密の「宇宙服」タイプと、半透過性のものである。防護性が高いほど、隊員が耐える身体的な負荷は大きくなる。専門家によれば、気密スーツでは45分、あるいは30分が限界とも言われる。これは、中の空気ボンベ容量とも比例する。さらに、熱負荷にも耐えなくてはならない。スーツは何層ものポリマーでできていて、確かにガスの浸透は防ぐが、体表からの水蒸気の拡散も止めてしまう。だから、全ての熱と汗はスーツ内に閉じ込められたままになる。一方、半透過性のスーツは、はるかに快適だが、液滴や気体を完全に止める能力にはやや劣る。呼吸器保護のためのマスクも装着するが、これは身体的な負荷と同時に、心理的な負荷も与える。マスクは、見た目が怖いだけでなく、装着者に閉所恐怖症の気分を与えることが報告されている。暑苦しく汗まみれになるだけでなく、孤独感まで与えてしまうわけだ。こうした問題を解決するには訓練を繰り返し行うしかない。

レベルAという非常に高性能な防護服

■現場を安全にする

自分の身を守れたら、次に行うのが現場を安全にすることだ。このために、隊員は検知・識別のための幅広い機材を持ち、サンプル(固体や液体、気体のこともあるだろう)を同定して有用な情報を提供しなくてはならない。CBRNE WORLD編集長のGwyn Winfield氏は、物質名だけを告げても何の役にも立たないと警告する。「CBRNを扱う隊員としては、それがどんなものか、危険性や特性、量、散布状況もできる限り知らなければならない」(同)。最初に対応に当たった隊員が全てを明らかにする必要はない。多種類の検知器を持ち、知識レベルの違う隊員が、これらを維持し装備しておくことが重要だ。隊員たちは、検知器からの情報を噛み砕いて、指揮官に報告することが必要になるのである。Gwyn氏はまた、「一般市民が気付かないうちに、見えないように検知することも重要」と付け加える。何か、怪しいものがあったとして、それは爆発物の痕跡かもしれないし、医療用の放射線源かもしれない。こうしたあいまいな情報の段階で市民がパニックに陥いることを阻止することも重要なポイントだとする。

■役立つ情報システム

米国には、緊急時応急措置指針(Emergency Response Guidebook、 ERG)や「WISER」のようなシステムがある。WISERとは、米国立衛生研究所(National Institutes of Health、NIH)の一部門である国立医学図書館(National Library of Medicine)が開発した、スマートフォンでも利用できるアプリケーションの名称だ。危険物事故における危機対応を支援するために設計されたもので、危険物質の識別のサポート、物理的特性、人間の健康情報、封じ込めおよび抑制アドバイスなどを提供しており、米国ではCBRNEの現場で既に活用されている。現場で対応に当たる人は平時から、こうしたものを用意しておくことが望まれる。

■求められる教育・訓練

そして、こうした対応ができるようにするには、教育・訓練が不可欠だ。

CBRNEを伴う災害に対応するためには、専門的な知識についての研修・教育が必要になる。米国ではCBRNEなどの危険物・大量破壊兵器災害に対応できる専門的人材を育成するために全米防火協会が、NFPA472(危険物/大量破壊兵器災害対応者の資格要件に関する規格)という能力基準を設けている。さらに、過去の記録や教訓に基づいてポイントが学びとれるよう様々な教材が用意されている。

例えば、国際消防訓練協会(IFSTA)が発行するエッセンシャルズ(㈱日本防災デザインが日本語版を発行)は、消防士の入門教本として、また、既に消防組織に所属している消防士の参照教材として米国で広く活用されているが、全1630ページのうちの214ページがCBRNE対応について記述されており、その巻頭ページでは、過去の実例として亜酸化窒素のボンベ爆発事故について取り上げ、なぜ事故が起きたのか、どうして被害が防げなかったかを簡潔に記述している。

写真を拡大日本防災デザインが発行するエッセンシャルズ(日本語)※写真クリックで購入先にリンク

あらかじめすべての危険物質について詳細に学習し理解しておくことは困難だが、CBRNEそれぞれの特有の課題、健康や環境への被害の可能性については、こうした教材を通じてあらかじめ理解しておく必要があろう。さらに、災害が発生した際に、どのように危険物質を特定すればよいのか、その調査方法はどうするのか、といった基本的な知識もこうした教材で身に付けることができる。

■連携の重要性

さて、CBRNE事象への対応は消防や警察、自衛隊、医療機関、自治体らが協力・連携して対応にあたることが求められる。

この連携の重要性を世に知らしめたのが2013年4月にアメリカのボストン・マラソンを襲った連続爆弾テロ事件への対応である。白昼のイベント会場という人出の多い場所を狙ったテロにもかかわらず、犠牲者は現場で死亡した3人にとどまり、病院に搬送された重傷者を含む全員が救命された。テロ事情に詳しい日本大学の河本志郎教授によれば、多数の人を狙った無差別爆破テロにもかかわらず死者を最小限に食い止められた理由は、2001年9月の同時多発テロを受けて始まった「MCI Mass Casualty Incident:(多数傷病者事案)を想定した計画と訓練、特に多機関での合同訓練があったからだとする。

2013年ボストンマラソンを襲った同時爆破テロ事件  写真:AP/アフロ

もちろん脱水症状や筋肉痛を起こすランナーに対応すべく、多くの医師や救急隊が準備しており、救急車も待機していたことや、当日は祝日で、道路渋滞が比較的少なくスムースに救急搬送が行え、病院も比較的空いていたことなど好材料が重なったことも無視することはできない要因ということだが、2004年に発生したスペインマド・リッドの列車爆破テロでは、死者191人に対し負傷者が1800人以上、2005年のロンドン地下鉄爆破テロでは、死者が実行犯含めて56人、負傷者が700人以上で、いずれも死者数は負傷者数の1割近くに上っている。これに対し河本教授は、ボストン(死者3人・負傷者264人)の死者比率が約1%であることに注目する。「この差は偶然ではなく、迅速な救助と搬送が重篤者の命を救った結果と見ることができる」。これを裏付けるように、今回の現場では、命に危険があるとされた30人は18分以内、それ以外の負傷者も45分以内に全員が病院へ搬送されている。

では具体的にどのような連携が行われたのだろうか。

今回の事件では、ボストン救急部から民間の救急事業者に応援要請が出されたが、官民問わず、すべての救急車は「ボストン救急指令センター」が一元管理した。河本教授によれば、MCIでは救急搬送を一元的にコントロールする組織が不可欠だという。

同センターで、各病院のERや手術室が何人受け入れ可能か、現場の負傷者が何人残っているかなどの情報を元に、各車に行き先を指示した。それを実現すべく関係各機関の間で情報を共有するシステムも整っていた。 

2009年にボストン救急部が創設した「医療情報センター」では、平時は情報共有用のサーバーが置かれているだけで無人だが、イベント開催時には数十人が詰めてコンピュータや無線をモニタリングしながら情報の交換・提供を行う。事件当日もこのような体制が敷かれており、現場の救急隊員からの「事件発生」「負傷者多数の可能性」、といった情報がここを通して直ちに地域の各病院に伝えられたのだ。各病院ではこの連絡を受けて、MCIの対応準備を開始。この動きは緊急対応計画に基づいており、誰かに指示されなくても一斉に動き出すように決められていたのだという。

さらに、ボストンを含む62の市町で構成される、市より広域の「ボストン都市圏」には、ボストン救急部が運営する「中央医療緊急指令」というシステムがある。ボストン医療情報センターと情報を共有していて、同様に圏内の病院に情報を伝えている。また、マサチューセッツ州の「緊急事態対策センター」とも情報を共有している。一部の情報は警察ともリンクしており、「まだ爆弾が残っている」といった誤った情報を警察当局が早期に打ち消すことで、たとえば、各病院は新たな被害者に備えてスタッフや医療品を配置する手間を省くことができた。さらに、マサチューセッツ州が2004年から運営する「WebEOC」がある。これは、緊急事態に対応する医療機関のスタッフが、どこからでもインターネットにアクセスして情報を共有できるシステムで、病院関係者が、各病院の医療品の過不足、支援可能なスタッフの準備状況、予想される負傷の種類などをリアルタイムに更新し続けたことが、効率的かつ適切な治療に結びついたという。

これらを実現させた訓練はどのようなものだったのあろうか。爆弾テロなどで多数の負傷者が出た場合、①現場で直ちに応急処置とトリアージを行い、②早急に各地の病院に分散搬送し、③病院では負傷の種類に応じた適切な処置をする、という連鎖が機能していなければ、高い救命率を実現することはできない。河本教授は、過去に起こったテロ事件などの事例を研究して対応計画を策定し、それに基づく訓練を実施して、問題点を洗い出して改善していくプロセスが欠かすことができないと説明する。 

ボストン市でも、イラク戦争における応急処置の経験から注目されたのがターニケット(止血帯)だ。四肢切断など重傷者の死因の多くは、止血の遅れによる出血性ショックだという。そこで、ボストンの救急では、他の地域ではあまり一般的ではないターニケットを出血管理手順に取り入れ、救急車にも標準装備していた。このことが応急処置段階での救命率を高めることに寄与したとされている。 

こうした個別の訓練に加え、ボストン市では、2002年11月から大規模な多機関連携によるテロ訓練を開始している。初年のシナリオは、空港に着いた航空機内で放射性物質を撒き散らす「ダーティ・ボム」が爆発したという想定で実施された「プロメテウス作戦」である。この訓練には、病院・救急関係の他、州兵、FBI、沿岸警備隊、赤十字なども参加し、汚染された患者への除染と治療、病院・救急関係者の被曝回避、多機関での情報連携のあり方などが検証されたという。2009年には、ボストンで、「わが都市の物語」という、爆破テロを想定した多機関連携計画を主題とする会議が開催された。この時は、近年大きな爆破テロに襲われた、ロンドン、マドリッド、ムンバイなどで対応した医師を招き、現場でどういうことが起きたかを警官、医師、救急隊員らに説明してもらい、対応計画を見直したという。 

2011年3月には、「ファルコンⅡ」と呼ばれる訓練が実施されている。これは、今回のテロのような多数傷病者事案の発生を想定した訓練で、地域の病院や地域医療センター間での情報共有や医療資源の調整、多数の患者への対応能力などが試された。同じ2011年には、ボストン市とマサチューセッツ州が「合同テロ対策啓発研修シリーズ」というワークショップを実施している。さらに、2012年11月には、連邦政府・州・市の緊急対応関係者、警察、消防、救急、病院など多機関が参加した24時間に及ぶ大規模実動訓練「アーバンシールド・(都市の盾)が実施された。これは、空砲の使用、ハリウッドの特殊効果会社の協力、さらには、四肢が欠損した人を負傷者役にするなど、徹底的にリアリティを追求した訓練で、ボストン市長が市民に、「銃声や特殊部隊が出動しても訓練だから慌てないように」と異例の声明を出すほどだったという。人質事件、爆弾など危険物事案、映画館での銃乱射事件など多岐にわたるシナリオが実施される中で、ボストン警察と消防局の通信連絡など、問題点の洗い出しに成功している。 

そしてマラソン大会の直前には、マサチューセッツ州緊急事態対策センターが、各機関の緊急対策担当者にマラソン大会関係者も加えての図上演習を実施した。この時のシナリオの中には、「マラソン中にIED(簡易爆弾)が爆発した」という想定も含まれており、この訓練が的確な救急活動に結びついたことは想像に難くない。

■2012年ロンドンオリンピックの対策

2012年に開催されたロンドン五輪でもCBRNEを使ったテロには最大の警戒態勢が敷かれた。ロンドン五輪では、文化・メディア・スポーツ省にオリンピックの総合調整窓口となるGOE(Government Olympic Executive:政府オリンピック実行委員会)が設置され、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会と同じ位置づけにあたるLOCOG(ロンドンオリンピック・パラリンピック組織委員会)と調整して、準備・運営にあたった。

GLAにはロンドン全体の特別区の危機管理を統括する危機管理センター(command centre)が設置されている

現場での危機管理を仕切ったのは大ロンドン庁(GLA=Greater London Authority)だ。ロンドンの自治は、大ロンドン庁のもと、City of Londonを含む33の特別区で構成されているが、当時、ロンドン特別区に出向して危機管理の業務に携わっていたというPWCのLeigh Farina氏は「各特別区では、オリンピックゲームに備え、(2012年の)2年ほど前から3カ月に1回の割合で合同訓練を実施してきた。最初は、各区の計画がしっかりできているかを検証することから始めたが、直近に行われた訓練では、1つの危機案件について、全員が一緒に対応できるまで成熟度があがってきた」と話していた。Farina氏によると、GLAにはロンドン全体の特別区の危機管理を統括する危機管理センター(command centre)が設置されているが、過去に危機管理センターが指揮を執って対応にあたったのは2005年の同時爆破テロぐらい。しかし、オリンピック期間中は、交通の不具合や、不審物の発見など、その日に起きたことを、すべて危機管理センターにレポートすることが決められているため、訓練には、特別区をはじめ、警察や消防、病院など50を超える関連機関が参加し、組織間の連携の向上を図ったという。 

2016年のオリンピック開催をめざし準備を進めるリオデジャネイロでは、連邦政府と州、市による大規模な警備が予定されている。同市の立候補ファイルによると3つの政府が「単一の統合化されたチームとなって警備にあたる」と組織間連携の強さを核とすることが強調されている。警備にはアメリカも支援を表明しており、2015年には米沿岸警備隊の指導のもと、アメリカにおける危機対応の標準化システム(ICS:Incident Command System)を取り入れたブラジル治安部隊との合同訓練なども行われている。さて、2020年の東京五輪に向け、我々は何をすべきだろうか―。

 

市民はいかに備える!

 CBRNE災害に対して、市民はどう備えればいいのか。外務省領事局邦人テロ対策室が発行している「海外へ進出する日本人・企業のためのCBRN(化学、生物、放射性物質、核兵器)テロ対策Q&A」を参考に、総論的な対策と対応をまとめてみた。

 (1)緊急用品の準備をする  

CBRNテロの被害にあった場合は、攻撃された場所から速やかに避難することが有効だ。その一方で、医師の手当を受けるまでに必要な応急処置をしておかなければならない。また、直接の被害にあわなくても、テロの規模が大きい場合には、自分の住居で危険が去るまで待機したり、より安全な場所に避難せざるを得ない場合もある。

そのような事態に備え、大規模な自然災害の場合と同様に、飲料水や食料品、あるいは防護服、呼吸用保護具、除染材(乾式のものもある)、仮に衣服が汚染した場合の脱衣袋、など緊急用品を入れた「非常袋」を用意しておくことが大切だ。

 防護服やマスク、ゴーグル

CBRNテロの多くは、有害な化学物質や細菌・ウイルスを何らかの形で空気中に散布させるケースが多い。有害な化学物質は、肺や皮膚に取り込まれることによって重大な症状が現れ、細菌・ウイルスも口や目、傷口等を通じて体内に取り込まれることで発症する。放射性物質の場合も体内に取り込まれて被曝すると、被害はより深刻になる。

ガムテープとビニールシート

大規模なCBRNテロが発生し、自分の住居で危険が去るまで待機しなければならないような場合は、屋外から有害物質や細菌・ウイルスが屋内に侵入するのを少しでも食い止めるために、ガムテープとビニールシートを活用する方法がある。できるだけ窓やドアの少ない部屋に避難し、ガムテープやビニールシートで窓やドアをすっかり覆ってしまうことで、汚染された空気に接触する危険を減らすことができる。 

はさみと石けん

直接被害に遭遇しなくても、有害物質や細菌・ウイルスに汚染された人や衣服によって、他の人に被害を及ぼすことも起こり得る。被災したら、身に付けている衣服を速やかに処分する必要がありますが、脱ぎにくい場合は、はさみを使用して衣服を切り裂き、露出している皮膚に衣服の汚染された部分を触れさせないことが重要。その後、石けんを使用して身体を洗うことで皮膚から汚染物質を吸収する可能性を大幅に減少させることができる。

(2)CBRNテロに遭遇したら  

直接被害に遭遇している恐れがある場合には、まず有害物質と接触しないように努めることが大切だ。マスク等を持ち合わせていなくても特に口と鼻から有害物質を吸引しないよう、布(Tシャツなど)やティッシュペーパーを重ねて口と鼻を覆い、これを通して呼吸するようにする。また、子供がいたら、不用意に外気を吸い込まないよう手当てをしてやることが必要がある。CBRNテロに使用される多くの物質は空気よりも重く、地面に近いところに留まる傾向にあり、そのような物質が使用されたテロ攻撃の場合には、高いところにいればいるほど安全であると言われている。 また、できるだけ風上に逃げるということも重要になる。

噂や流言に惑わされることのないよう正確な情報収集により事態を把握する。特に現地当局がどのような指示・助言を行っているのか把握することが大切だ。その上で、緊急事態に備えた計画を念頭に、住居で待機するのか、より安全な場所に避難するのかを含め、臨機応変に対応策を考えていくことが求められる。

もちろん、これらの対策の前提として、緊急事態に備えた計画を立てておくことが必要だ。なお、E(爆発)については、外務省の「海外へ進出する日本人・企業のための爆弾テロ対策Q&A」が参考になる。

詳しくは、http://www.anzen.mofa.go.jp/pamph/pamph_03.html

この特集記事は、下記の取材記事を参考にリライトしたものです。

■危機管理担当者が最低限知っておきたいCBRNEの基礎知識
http://www.risktaisaku.com/sys/magazine/?p=2772

■自衛消防を見直せ 米流は「エビデンスから学び取る」
http://www.risktaisaku.com/sys/magazine/?p=2470

■テロ犠牲者を最小限に抑えたボストン市の危機対応
http://www.risktaisaku.com/articles/-/357

■地下鉄サリンから20年 身の回りに存在するCBRNリスク
http://www.risktaisaku.com/sys/magazine/?p=2523

■特別寄稿 CBRNの金メダルを目指して─ブラジルの試み─
http://www.risktaisaku.com/sys/magazine/?p=2907

■連携を生かした日本型のテロ対策/オリンピックまでに「世界一安全な都市」
http://www.risktaisaku.com/sys/magazine/?p=2531

■地下鉄サリンを超えて~オリンピックを見据えて
/common/dld/pdf/6202f6272124b0e2fc37cdfeff129a48.pdf

■オリンピックのBCP 政府・自治体の対策
http://www.risktaisaku.com/articles/-/203