2007年よりBCPと危機管理の専門誌として年6回発行してきましたリスク対策.comですが、58号の今号が最終号となります。これまでご愛読いただいた読者の皆様に心からお礼申し上げます。そもそも「com」というのは、地域(community)と企業(company)を守る人のための情報誌という意味合いで付けた名前ですが、これからは本当の「ドットコム」メディアとして、これまで以上に多くの方に読んでいただけるよう情報を発信していきますので、引き続き、私たちのウェブサイトで記事を読んでいただければ幸いです。


【巻頭言】「10年間の取材で学んだBCPで本当に大切なこと (前編) 心に残る災害を振り返る」 はこちらから↓
http://www.risktaisaku.com/articles/-/2137

工場全体が壊滅的な被害を受けながらも1週間で事業を再開したオイルプラントナトリ

新型インフルエンザの事例でも書いた通り、あらかじめ何が起きるかを正確に予測した上で計画を作るということは非常に難しく、今起きている、あるいはこれから起きそうなハザードと、自分達が置かれている状況に応じて、計画を柔軟に変更して行動をとらなければいけません。何が起きるかわからないなら計画など最初から不要だということはありません。計画を策定する力を身に付けていなければ、こうした柔軟な対応はとれないということです。米国大統領だったアイゼンハワー氏が「計画そのものは使えないことが多いが、計画策定(プランニング)は不可欠だ」と言っていたそうですが、実感として学び取れる事例です。

もう1つ同社の対応で驚いたことは、あらかじめ、自社で操業ができなくなった際に備えて、他の業者との協力体制を取りつけていたということです。東日本大震災だけでなく、阪神・淡路大震災でも、同業者に助けられたという事例は多く報告されていますが、こうした企業共助力を平時からいかに高めていくかということも今後ますます求められてくると思います。

被災地では、災害直後からタクシーやホテル、建設業などの需要が急激に高まり、一方、観光産業などは一気に人が集まらなくなるなど、業種によって激しい景気の浮き沈みが生じます。県外からはさまざまな企業が参入し、それまでの業界秩序も乱れます。こうした中で地元企業が自助だけで復興することはとても大変なことです。ですから、業界団体として助け合える方法について模索していくことも重要だと思います。

同社は、こうした同業者の支援もあり、被災からの早期復旧を果たしただけでなく、翌月以降は、被災前より売り上げを伸ばすことに成功しました。復旧にかかる費用がいくらか、調達可能な資金はいくらかを計算し、社員全員に「1日○○万円の売り上げを目指して自分たちの生活を守ろう」と呼びかけ、組織全体が一致団結して取り組んだ結果だということです。

命を守る責任

いろいろな被災地を取材で訪れましたが、東日本大震災で見た惨状は今も忘れることができません。家族一人でも犠牲になれば、家庭は崩壊します。同様に、社員が一人でも犠牲になれば事業継続どころではないはずです。

BCPの目的は、事業を継続させることであり、人命を守ることとは違うと言う人もいます。理屈的にはその通りだと思います。しかし、従業員が出社してくれなければ事業は継続できません。個々の従業員が、自分と家族の安全をしっかり守り、安心して会社に出てこられるようにすることが、BCPの大前提となります。

東日本大震災で犠牲になられた方のご遺族から、通学先あるいは通勤先の組織が安全配慮義務を果たさなかったとして、数多くの訴訟が行われています。仮に事業が継続できたとしても、犠牲になられた方がいらっしゃれば、裁判の結果はどうであれ、5年、10年、20年、30年、それ以上にわたり、責め続けられる可能性があるということです。

一方で、東日本大震災から5年間で約1700 社もの会社が倒産しています。その数は、被災地で直接被害を受けた企業よりも、取引先・仕入先の被災による販路縮小や受注キャンセルなどが影響した「間接型」が圧倒的に多いと言われています。おそらく、ビジネスそのものを根底から見直さなくては乗り切れないような危機だったのでしょう。地震や津波の直接被害を逃れたとしても必ずしも事業が
継続できるわけではない難しい時代になってきました。

先ほど紹介したオイルプラントナトリは、2008年のリーマンショックの時に、売上減少を食い止める施策として営業エリアを県外まで拡大しており、そのことが、震災後の事業の維持や、県外業者の協力を得る上で役立ったということでした。平時から経営戦略の中にリスクマネジメントを組み込み、大きな需要の変動などについても備えていくことが重要だと思います。これは経営層の責務と言っていいでしょう。

東日本大震災の教訓は生かせているか

東日本大震災後も毎年のように大きな災害が相次いでいます。伊豆大島の土砂災害、広島の土砂災害、鬼怒川の決壊、熊本地震…、私たちは東日本大震災で得た教訓をどのくらい次の災害の備えに生かせているのでしょうか。

「避難勧告や指示が出せなかった」「聞き取れなかった」「聞いても避難できなかった」「連絡がうまく取り合えなかった」「想定できなかった」……。

昔、アメリカの防災担当者に聞いた話ですが、アメリカでは、防災担当になると、最初に、住民や業務上での連絡の仕方を学ぶそうです。「正確かつ確実、タイムリーに、一貫性をもって、シンプル・明瞭に、必要性にフォーカスし、相互の信頼が築けるようにすることが大切」ということです。ファックスを送ったのに見ていなかったのがいけないとか(確実性の欠如)、夜中に避難指示を出してよいか迷ったとか(タイムリー・信頼性の欠如)、反省すべき点は多いように思います。それは、災害が来た時に突然やろうと思ってもできることではなく、平時からの住民や仲間との信頼関係の構築が基本になるということでした。

リスクアセスメントの課題も残ります。津波の想定がしっかりとなされていなかったのと同様に、広島県の土砂災害や鬼怒川の決壊では、残念ながら「想定外」という言葉が繰り返されました。地震は想定していたのに、土砂災害や洪水が想定できなかったのだとすれば、それはリスクアセスメントのプロセスが間違っていたのか、そもそもリスクアセスメントはしていなかったということです。ほかにも、被災状況の確認と情報共有のあり方、支援体制と受援体制の関係など、今も課題とされることばかりです。