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災害時の機能


1・2階は、平時は一般に解放されているが、災害時には、行政や大学の対応拠点となることが計画されている。 

1階には、地方整備局や県、市の災害対策本部が被災した際の、代替拠点としての役割もあり、自治体通信衛星網も整備されている。2階には、キャンパスにいる学生ら2万人を守るための対策本部が設置される。 

一方、3・4階は教員向けのプロジェクト室で、現在、約20人の教員が席を置く。中部電力、東邦ガス、応用地質の3社の寄付により研究部門が設置されているほか、企業や自治体からの受託研究員が日々、研究活動を行っている。 

名大では早くから、文理工の連携など、異分野の融合による防災研究を進めてきたが、この施設では、日常的に大学、自治体、企業の研究者が交流するため、産官学民の連携が自然に生まれる環境が整っている。 

施設全体の施工費は10億円。さまざまな人たちの協力により「超割安の価格で造っていただいた」と福和氏。このうち7億円は国の補助金で、2億円が大学の負担、さらに研究費から1億円を調達。ちなみに運営に関して国からの補助金は一切ない。福和氏は「地域のために地域でつくった、独立心旺盛な名古屋の力を象徴する施設」と話している。


福和館長の話

名古屋は、東京や大阪ほど大きな都市ではなく、防災に関わる研究者を100人規模で置くような機関はない。大都市の大学と地方の大学では、防災・減災に対する立ち向かい方が当然異なる。名古屋大学は、地域の規模からすれば小さな大学だが、利点としては縦割りの弊害がなく連携がしやすい。こうした特徴を生かして、いかに地域を守っていくかを本気で考えてきた。研究も大切だが、実際に汗を流して頑張らなくては地域は疲弊してしまう。 

名古屋大学では、阪神・淡路大震災以降、地域に密着しながら被害予測調査をしたり、基礎的なデータを収集するなど、地域と一緒に地道な作業を進めてきた。一方、老朽家屋の耐震化を推進するなど、地域に根差した防災活動にも取り組んできた。

耐震化を進めることは、研究ではなく人の心を変える活動だ。人が動いてくださるようにするにはどうしたらいいか、どのようなことを工夫していけばいいかを常に考えながら、さまざまな教材をつくったり、行政や企業と一緒になってイベントや勉強会などを開催してきた。 

2001年には、環境学研究科という文理工の連携型のプロジェクトを立ち上げ、中京圏地震防災ホームドクター計画というプロジェクトをつくった。先端医療を行うのではなく、ホームドクターとして地域の診断をしつつ、地域が強くなるような町医者になることを宣言した。その町医者としてやるべきことは、例えば名古屋大学防災アカデミーや、減災カフェ、高校生防災セミナーなど、いわゆる人づくり。こうした活動から、各専門がバラバラに動くのではなく、文理工、産官学民が連携する仕組みができていった。

2008年から減災連携研究センターの立ち上げを進め、2010年12月に仮設置した直後に東日本大震災が起きた。震災で、期待していた補助金は手に入らなくなったが、地域の企業などからは「名古屋から企業が出ていかないように頑張ってくれ」と期待と励ましの声をいただき、同時に支援もいただいた。切迫する南海トラフ地震に対し、地域の大学として何ができるのか、さらなる教育・啓発の方策を模索し、地域とともに減災社会を実現させていきたい。