義務教育レベルの長文読解力も身に付けられない状況にあるのか(写真:写真AC)

国家の宝であるジュニア世代の育成

ジュニア世代が将来の国家を背負う宝物であることを疑う人はいないだろう。ならば、そのジュニア育成は国家にとって重要な戦略事項である。しかし、本当にそれだけの重要性を社会が認知しているのか、疑わざるを得ないと感じるのは筆者だけだろうか。

前回、アスリートの世界におけるジュニア育成の問題に関して、欧米と比較する視点で語った。部活動に属する分野が中心であったが、ことはその範疇に収まるとは思えない。社会性を育む領域もそうだろうし、学校の本業であるといわれる学業の分野ですら、よく似た構造になっているのではないだろうか。

一昔前は教師は「聖職」と呼ばれたが(写真:写真AC)

教師という職業は、この働き方改革が進む社会に取り残されたようなブラックな環境といわれている。長時間労働、サービス残業、部活動顧問での休日返上、利己的な保護者からの理不尽な糾弾への対応、少しいい過ぎればすぐに体罰やハラスメントと批判される状況で、一昔前の聖職とも称される職業として志高い人材が集まる場とは決していえないのが実情ではないだろうか。

そしてその結果として、学業ですら、学校はその役割を塾に奪われ、授業時間が塾の宿題消化時間や休憩時間になるという逆転現象まで一部では生まれている。

日本語の読解力の劣化現象があちこちで起きている(写真:写真AC)

その結果かどうかは定かではないが、最近感じるのが、日本人の日本語読解力の劣化である。SNSやネット掲示板等の普及で一般人の発信が増えることで顕在化しただけかもしれないが、明らかに識字はできているが文章として読めていない、文脈を理解できていない、全文を読む胆力がないのではという現象があまりにも多過ぎるのだ。それは若者だけでなく、団塊の世代にあたる老人まで、幅広い層で起きている。

あまりに異常なので目立つだけかもしれないが、現実社会でこの現象による多くの騒動が巻き起こり、世論形成にまで至り、集団いじめや魔女裁判のような事態まで発生している。

日本語を全文読み、前後の文脈を元に、行間まで読み取り、読解すれば、起き得ない誤解が余りにも多い。それらは、義務教育における国語の長文読解が身に付いてさえいれば解決するレベルに、筆者は感じる。