日産自動車では、エンジンを製造するいわき工場(福島県いわき市)が東日本大震災で甚大な被害を受けた。 工場内の被災に加え、サプライヤーの被災、さらには放射能汚染への不安が高まる中、本社対策本部を中心 とした全社的な支援により、目標としていた 6 月中旬の計画よりも約 1 カ月早く事業再開にこぎつけた。

■2 度の地震と退避指示
いわき工場は、国内外で販売する高級車向けのエ ンジン製造を担い、年間 37 万機のエンジンを生産 する同社の主力拠点の1つ。3月 11 日の地震では、 震度 6 弱の強い揺れにより、電気を除くすべてのイ ンフラがストップしたほか、工場内では天窓、配管 類が落下するなどの被害が発生した。施設内で働く 従業員は全員無事だったが、工場内に入るのも危険 な状態だった。4日後の 15 日には、市から放射能 汚染の影響により市内全域に屋内退避指示が出さ れ、4 月 11 日には再び震度6弱の余震が発生し、いわき工場の復旧の道のりは3カ月以上がかかること が予想された。  

■10 部署による初動対応チーム
3 月 11 日、横浜市にある日産本社では、震災直後 から COO(最高執行責任者)の志賀俊之氏を本部 長とした対策本部を立ち上げ、事業継続に向けた活 動を開始した。  
同社では、事業所の所在地で震度5強以上の地震 が発生した場合は、渉外部をセンター機能とした 10 部署による初動対応チームが速やかに情報収集を開始する(図1) 。  

震災当日も、この初動対応チームが中心となって 安否の確認、被災状況の把握などにあたった。全社 体制の災害対応は、毎年訓練はしていたものの、実 際に本社と現地に対策本部を設置して対応するのは今回が初めての試みとなった。幸運だったのは、同 社では震災の 3 週間前に首都圏直下地震を想定して BCP 訓練を行っていたことだ。 「直前のシミュレー ション訓練を通して、各部署が危機発生時に何をす べきかわかっていたため、速やかに対策本部が設置できました」と震災当時、対策本部のメンバーの 1 人だった同社渉外部主担の中込健司氏は話す。  本社の対策本部は、 本部長以下、 各部門のリーダー など 100 人ほどのメンバーで構成される(前ページ の図1) 。これほど多くの人数を確保している理由 は、 部署ごとに震災対応の役割を決めるのではなく、 対策本部の機能ごとに各部署から災害種別や規模に 応じて動員できる人数を割り当てているためだ。特 に、生産や購買など専門知識が求められる製造部門 からは、多くの専門スタッフが対策本部のメンバー として関わる。より正確な情報が本部に上がること で、即断・即決が求められるトップの判断決定を助 けることにつながる。