黒潮町缶詰製作所

東日本大震災発生からおよそ1年後の2012年3月、内閣府の新想定で日本1高い「最大津波高34m」を突きつけられた高知県黒潮町。以来、700回以上におよぶ住民との防災に関するコミュニケーションを展開するなど、災害に立ち向かう体制づくりを進めている。一方で、津波を逆手に取った「防災缶詰」で町の産業活性化への取り組みを開始。「震災前過疎」町のに立ち向かう。

「内閣の新想定が発表された時、頭の中が真っ白になった。町の存続すら、危ぶまれる事態だと思った」と話すのは、黒潮町長の大西勝也氏。 

それ以来、「あきらめない、揺れたら逃げる、より早く、より安全なところへ」を合言葉に、住民との活発なコミュニケーションを展開し、浸水の恐れのある全世帯で「戸別津波避難カルテ」を作成するなど、他に類を見ない防災活動に取り組んでいる。 

それでも、町での生活をあきらめて町の外に転出してしまう世帯はある。もともと黒潮町は漁業、農業、花き栽培などが主たる産業。若者が帰りたくても職がないことが、東日本大震災前から深刻な問題となっていた。加えて新しい想定によって町外への人口流出は加速し、黒潮町は「震災前過疎」という新たな課題に直面した。

新たに産業を起こす
黒潮町役場産業推進係長の友永公生氏は「もともと、町長は防災・福祉・産業・教育の4本柱を立てていたが、東日本大震災と新想定により完全に防災にシフトせざるを得なかった。津波で企業誘致などがさらに困難になり、町が自立して産業を起こす計画を始める必要があった」と話す。町長が産業の活性化について検討の開始を指示したのは2012年の秋ごろのことだという。 

新たな産業について、大西町長には1つのアイデアがあった。それは日本1高い津波が来る町として、津波想定を逆手に取った防災関連産業を起こすことだった。その後、町役場で議論を重ね、黒潮町で採れる水産物と農産物を活用した非常食「黒潮缶詰」を作ることが決まった。 

本来であれば2013年から2014年の1年間をかけて企画を練るはずだったが、計画を先に延ばすと「日本1の津波に立ち向かう防災の町」という情報の鮮度が薄れてしまうため、計画を前倒しした。2013年の9月補正予算で工場建設に必要な約7000万円を計上し、2013年の3月までの半年間で工場と会社を設立した。こうしてできたのが黒潮町の第3セクター「黒潮町缶詰製作所」だ。

高級グルメ缶ブーム
ちょうどそのころ、食品業界には1つのブームが発生していた。このブームに乗り遅れないようにするというのも計画を急いだ理由だ。 

食品業界のブームとは「高級グルメ缶」だ。1缶につき100円程度の大量生産品ではなく、こだわった食材で調理・味付けがされており、温めて皿に盛るだけで美味しいおかずになる。高価なものは1缶1000円を超える。女性の社会進出が進み、短い時間で調理ができる缶詰の利点が見直されてきたのだ。 

「私自身、東日本大震災の7日後に気仙沼市役所の手伝いをしたが、毎日冷たいおにぎりしか食べることができず避難所の厳しさを知った。防災用非常食でも、できるだけ美味しいものを作りたかった」(友永氏)。