外出制限が解除された上海。防護服の警官が地下鉄駅で通勤者らをチェック(写真:ロイター/アフロ)

■封鎖ゆえの助け合いと事業への不安

2022年4月1日、魔都と呼ばれる上海の街から人が消えました。この日を境に、上海市内の都市封鎖が始まったのです。そしてほんの数日前、6月1日に全面開放となりました。この間の動向は、日本にいる方々もさまざまなメディアで伝えられる情報を見聞きし、よくご存じと思います。しかし、これにより事業環境はどう影響を受けたのか、実際に封鎖に遭遇した立場から報告します。

魔都と呼ばれる街から人が消えた(写真:写真AC)

ちなみに、筆者の入居するマンションの小区はロックダウンの約2週間前の3月14日から封鎖が始まっていたため、筆者は実質開放されるまで81日間の自宅軟禁状態を余儀なくされました(マンションのある小区内の移動は許されていました。この小区内には約4000人が住んでいます)。しかしながら、夫婦で暮らしており、中国在住が長いこともあって、一般の日本人駐在員の方々よりは楽な生活ができていたという実感はあります。

普段、同じマンションに住む住人たちとはほとんど交流がなかったのですが、封鎖により必然的にさまざまな助け合いが必要となり、自然発生的にSNSグループでの交流が始まりました。

そこでは、班のリーダー的な人が音頭をとり、食糧の確保や常備薬の調達、諸問題の解決相談、PCR検査の通知など、多方面での助け合いが行われ、これまでほとんど触れることのなかった現地の人々の実態がよく見えるようになり、新たな友人関係が築かれたりしたことは、今振り返ってみれば封鎖ゆえのメリットだったといえるかもしれません。

しかしもちろん、事業に対する不安要素がなかったわけではありません。社員雇用の問題、事務所の賃貸問題、資金繰りの問題、そして工場であれば稼働停止期間の保全問題、再開後の安全問題、従業員の確保問題、コロナウィルス対策問題など、あげればキリがないほどです。

どちらの企業もこれまで一度も経験したことのない状況下、最善を尽くしつつ開放の瞬間を待ちわびていたというのが現実だったでしょう。