9月1日で関東大震災から100年。大規模な自然災害が起きても企業活動を継続できるようにする事業継続計画(BCP)は、2011年の東日本大震災や直近のコロナ禍を機に策定が進んだとみられていたが、帝国データバンクが東京都内の2057社を対象に今年5月に実施した調査によると、策定済みの企業の割合は23.6%にとどまる。有事の対処法は今なお手探りの状況で、関東大震災で被害を受けるなど関係の深い企業に当時の経験と現在のBCP策定状況を聞いた。
 1907年創業のAGC(旧旭硝子)は、23年の関東大震災で当時の鶴見工場(現AGC横浜テクニカルセンター)が被災。木造れんが壁の建物が全焼し、煙突が折れるなど多大な損害を受けた。それでも3カ月半後の12月14日には操業を再開。ガラスは当時から不可欠な建築資材だったことから、特約店を統合して販売価格を一定に保つように努め、まちの復興を後押ししたという。
 こうした過去の経験を踏まえ、これまでに世界約200の拠点で地震や洪水などのリスクを点検した。特に地震に関しては、危険性の高い日本とアジアの主要拠点でBCPを策定。東京の本社で毎年、最高経営責任者や各部門長による机上訓練を実施している。国内では災害発生時に従業員や家族の安否を確認するシステムを導入し、年2回の通報訓練を通じてBCPが有効に機能するか確認を行っている。
 中外製薬は、関東大震災後に深刻化した薬不足を憂い、2年後の25年に「中外新薬商会」として創業した。その歴史的背景から、医薬品の安定供給を見据えて2010年に中外地震BCPを策定。地震発生時にはサプライチェーン(供給網)や製造などの機能別対策チームを設置し、工場やクリーン環境の復旧作業、物流拠点の在庫・出荷調整、代替拠点での業務継続の対応などを行うよう定めた。
 このように備えは怠らなかったが、東日本大震災では宇都宮工場(宇都宮市)や提携先の工場からの医薬品供給が途絶えた。このため、製品別に供給上のリスクを改めて分析。代替可能な他の薬剤の有無や、供給が途絶した場合の患者のリスクなどを踏まえ、在庫の積み増しや分散保管、製造拠点の複数化などに取り組んでいる。
 帝国データの調査を中小企業に限って見ると、BCP策定率はさらに17.4%まで下がる。創業189年目を迎えた東京・日本橋の千疋屋総本店も100年前に被災した経験を持つが、全社的なBCPは未策定だ。千疋屋の店舗は関東大震災の際、東京駅前の旧丸ノ内ビルヂング(丸ビル、当時)の支店以外はすべて焼失した。しかし、本店の木製の看板を近くの堀に沈め、火災から守ったといい、現在も日本橋の店舗内に掲げられている。
 当時の状況を父から伝え聞いたという大島博社長は「小売業は商品と看板さえあれば、事業は再開できる。のれんを守り、事業を継続する上で、看板が最も大事だったのだろう」と語る。第2次世界大戦や東日本大震災、コロナ禍などすべて乗り越える中で、業務や担当部署ごとに非常時の対処法を定め、臨機応変な対応力に磨きをかけている。 
〔写真説明〕関東大震災で被災した旭硝子(現AGC)鶴見工場の様子(AGC提供)
〔写真説明〕関東大震災で被災した旭硝子(現AGC)鶴見工場の様子(AGC提供)
〔写真説明〕堀に投げ込まれ、関東大震災で被災を免れた千疋屋総本店の木製看板(同社提供)

(ニュース提供元:時事通信社)