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「逐条解説 製造物責任法 」経済企画庁国民生活局消費者行政第一課編商事法務研究会(1994 年12月)11 ページに下記の記述があります。

「我が国において、欠陥製品による大規模事故として最初に世間の注目を集めたのは昭和30 年に発生した砒素ミルク事件でした。この事件はドライミルクの乳質安定剤として用いた第二燐酸ソーダに不純物として砒素が混入していたため、ドライミルクを飲んだ乳児約1万2000 人が砒素中毒にかかり、うち131 人が死亡したという悲惨なものでした。当時補償金として死亡児に対して1人当たり25 万円、患者1人当たり1万円が支払われました。」

前回に書きましたように、45 年前は製造物責任の思想がまだ確立しておらず、社会の反応・消費者の反応は今日ほど企業にシビアではありませんでした。当時の新聞記事を見ますと、企業の責任だけでなく、行政の監督責任を問う意見も見受けられ、社会の反応が現在とかなり異っています。

事件後 14 年経って、砒素中毒の後遺症に悩む障害児が多数発見されるに至り、昭和48 年には損害賠償訴訟が提起され、最終的には和解が成立し、森永乳業の出捐により、被害児救済のための財団法人が設立され、現在も存続しています。


*財団法人 ひかり協会


http://www.hikari-k.or.jp/hikari/frame-a.htm


畑村洋太郎先生の「失敗学のすすめ」の記述

「失敗学のすすめ」P .201 に以下の記述があります。

■技術の発展期
考えられるだけの新しいパターンが次々と試され、ありとあらゆる工夫が凝らされ、多くの失敗を繰り返すなかで技術に磨きがかけられていく。試行錯誤をくり返しながら最後に選択されたメインルートは、太く強固なものへとその姿を変えていく。

■技術の成熟期
メインルート以外の選択肢が切り捨てられていく。
 作業の<単純化> → <マニュアル化>
自分の使っている技術に対する深い理解ができなくなりメインルートの確実性を細めていく。予期せぬ事態が生じたら対応しきれない。大失敗を引き起こし、組織に致命的な損失を与えることは避けられない。

「停電による毒素の発生」を繰り返しているので、「過去の失敗が生きていない」と言われているわけですが、今回の雪印乳業の工場で停電が起こったとき、技術の成熟期にあったため自動化された牛乳処理装置の中で停電時に何が起こっていたのか、作業を担当していた社員には分からず、対応できなかったのではないかとも考えられます。

過去の経験の伝承の途絶+技術の成熟期の問題と2つの要因があったのだと思います。

まとめ
雪印乳業の事故は、クライシス・マネジメントの失敗例として分析されることが多いのですが、この事例は、事故が企業の損益・キャッシュフローに与えた影響を公表の数字から明確に分析できる数少ない事例です。

「わが国リスクファイナンスの検討にあたっては、自社の財務的な耐力や状況を適切に把握することが必要である。この際、手元資金の把握や負債、資金繰り(キャッシュフロー)の状況はもちろん、リスク顕在時の復旧に要する資金量や事業活動が停止する期間とキャッシュフローへの影響や、その際の財務的な耐性等を可能な限り数値化しておくことが望まれる」 という経済産業省のリスクファイナンス研究会報告書の問題提起に対する格好の事例です。

また、事故・災害発生時に金融機関が企業に救済融資をする際のリスクが明らかになり、世間の見方と併せリスクファイナンスの在り方に大きな問題を投げかけています。

私が主としてキャッシュフロー・リスクの視点からこの事件を分析する過程で、企業に対する世間の見かたの変化、金融機関の救済融資に関する問題、過去の失敗経験の伝承等々検討されるべき多くの問題が見出されました。

事故事例の分析にあたっては、企業経営の視点から広範な視野で検討し、今後に生かすことが大事だと思います。