蒲島郁夫 熊本県知事
2016年の熊本地震に続き、2020年は豪雨災害に見舞われた熊本県。7月3日から7月31日にかけて続いた令和2年7月豪雨は当初、「熊本豪雨」とも呼ばれるほど同県内に集中的に大雨をもたらし、計65人の犠牲者を出した。対応に当たった自治体首長(当時)へのインタビュー内容をシリーズで紹介していく。
https://www.risktaisaku.com/articles/-/52159

最終回は県知事として県災害対策本部の指揮を執った蒲島郁夫氏へのインタビュー。熊本地震の経験はどう役立ったのか、これからどのような地域づくりを進めていこうと考えているのか聞いた。

 

Q. 気象庁の会見でも3日の時点で正確な降水量の予測は難しかったことが報じられていますが、知事はいつぐらいからどのような対応をされてましたか?

7月3日から、雨が相当降っていました。危機管理監から、7月4日の朝4時30分過ぎに「気象台が特別警報を発表する見込みだ」という連絡を受け、速やかな情報収集と自衛隊への情報提供、そして対策本部会議の開催準備を指示し、私もすぐに県庁に向かいました。到着してから状況の説明を受け、事態の重要性からすぐに自衛隊の災害派遣要請を行いました。

Q. 自衛隊への要請を即決断した理由は?

熊本地震の時もそうでしたが、災害対応において初動はとても大事です。そういう意味では自衛隊とは顔の見える関係を常に築いていましたので、今回もそのような形で躊躇せずに自衛隊の災害派遣をお願いしました。

Q. その後どのような活動を?

4日は、終日(対策本部のある)防災センターに詰めて、現地の様子をモニターで見ながら、初動で一番重要な人命救助のことをずっと考えていました。

モニターに映されている様子は、私が知っている人吉市とは全く異なっていました。濁流に飲み込まれた人吉市の市街地、球磨村、芦北町、八代市の坂本町……、これらの映像に衝撃を受けました。普段、球磨川というのはとても優しい川なのですが、牙をむき出したように濁流・激流になり、だんだんと被害が広がっていくのが分かりました。雨が降っていたものですから人命救助がとても難しい。ヘリコプターも飛ばせない状況のなかで自衛隊、消防、警察にも必死で対応していただいていたので、感謝の気持ちを持ちながら状況を見守っていました。

翌5日に現地に入りましたが、一面が流木と瓦礫(がれき)で埋め尽くされていました。どう猛な球磨川を見て自然の恐ろしさ、脅威を心から感じました。一番ショックだったのは、人吉市に私がいつも泊まる旅館があるのですが、そこの駐車場に止めてあった車が、津波が来たようにひっくり返って立っている光景を見た時です。

その後、とても多くの方が亡くなられていることが分かってきて、このようなことは決して二度と起こしてはいけない、水害で犠牲者を出してはいけないと強く心に誓いました。これが当日と、それから私が初めての現地に入った時の気持ちです。

Q. 特に対応が困難だったことはありますか?

今回大きな問題は孤立集落でした。道がずたずたにやられてしまいましたから。もう一つは、土砂混じりの大量の災害ゴミです。自衛隊の方々には、支援物資を背負って孤立集落まで届けてもらったり、災害ゴミの搬出などもしていただきました。こうして助けていただけたのも、普段からの信頼関係があったからだと思います。

孤立集落については、安否の確認から大変でした。電話も通じないし、他の通信網も通じない。そういうなかで、自衛隊を含め消防・警察・海上保安庁も来てくださって、延べ2000人の方々を救出していただきました。改めて皆さんには感謝しています。

県が行った検証インタビュー風景