やまじ風――4月の気象災害――
危険なハイドロリック・ジャンプを引き起こす地形
永澤 義嗣
1952年札幌市生まれ。1975年気象大学校卒業。網走地方気象台を皮切りに、札幌管区気象台、気象庁予報部、気象研究所などで勤務。気象庁予報第一班長、札幌管区気象台予報課長、気象庁防災気象官、気象庁主任予報官、旭川地方気象台長、高松地方気象台長などを歴任。2012年気象庁を定年退職。気象予報士(登録番号第296号)。著書に「気象予報と防災―予報官の道」(中公新書2018年)など多数。
2023/04/18
気象予報の観点から見た防災のポイント
永澤 義嗣
1952年札幌市生まれ。1975年気象大学校卒業。網走地方気象台を皮切りに、札幌管区気象台、気象庁予報部、気象研究所などで勤務。気象庁予報第一班長、札幌管区気象台予報課長、気象庁防災気象官、気象庁主任予報官、旭川地方気象台長、高松地方気象台長などを歴任。2012年気象庁を定年退職。気象予報士(登録番号第296号)。著書に「気象予報と防災―予報官の道」(中公新書2018年)など多数。
岡山から松山行きの列車に乗って瀬戸大橋を渡り、香川県を経て愛媛県に入ると、間もなく進行方向左側の車窓に、屏風のようにそそり立つ急斜面が迫ってくる。四国山地のいちばん北側に位置する法皇(ほうおう)山脈の北斜面である。それは中央構造線の断層崖(だんそうがい)であり、標高差は約1000メートル、平均勾配はおよそ3/10にもなる。目に映る印象としては断崖絶壁のように感じられる。
この断層崖の北麓に位置するのが四国中央市である。2004年に、それまでの川之江市、伊予三島市、土居町、新宮村が合併して誕生した。そして、この四国中央市こそ、清川だし(山形県)、広戸風(岡山県)と並んで「日本三大局地風」(「日本三大悪風」とも)の1つである「やまじ風」が吹く場所なのである。今回はこの風に焦点を当てる。
「やまじ」は「山風」と書く。「し」「ち」「じ」は風を意味する古語で、この3文字のどれかを語尾に持つ地域固有の風の名称が、日本の各地に見られる。だから、最近使われる「やまじ風」という言い方は、「風」の意味が重複していることになる。しかし、「やまじ」が風の名称であることを知らない人も多いことから、気象庁が「やまじ風」という呼称を使用するようになった。
図1に地形図を示す。やまじ風は、法皇山脈を超えて瀬戸内側の麓に吹きおりてくる南寄りの強風をいう。四国中央市では、その風速が周辺の他の地域より著しく強くなる。単に「強い風が吹く」というより「山頂付近の強風が弱まらずに吹きおりてくる」、あるいは「かえって強まりながら吹きおりてくる」ので問題になる。西隣の新居浜市まで行くと、やまじ風はかなり弱まる。
やまじ風は四国中央市付近だけに見られる、地域に固有の現象である。その要因は、言うまでもなく、地形である。南側に屏風のようにそそり立つ地形が、この現象を作り出している。
地形に起因する地域固有の風を、「局地風(きょくちふう)」という。言葉の響きからは「狭い範囲だけに吹く局地的な風」のように聞こえるかもしれないが、そうではない。正しい意味は「局地的に変形された風」である。その変形の原因となるものは、地形である。風は地形に敏感で、地形の影響を大いに受ける。地形によって風向、風速ともに変形されるが、特に風速が強められるものは「局地風」として注目される。
「風は思いのままに吹く」という表現があるが、決してそうではない。地球大気の運動(風)は基本的に水平流で、風はほぼ水平に吹いている。そうした風にとって、地球表面のでこぼこ(地形)は、流れを妨げるやっかいな存在である。風にとって、地形(山)は障害物なのである。
山は風に大きな影響を与える。地表近くの空気は、容易には山を越せない。だから、風の吹き方を調べると、風は山を避けて、山脈や海岸線に平行に、低地帯の走向に沿い、標高の低い川や谷筋に沿って吹く傾向がある。瀬戸内地方は中国山地と四国山地に挟まれ、東西にのびる低地帯になっているから、そこでは基本的に東西方向の風が卓越する。四国山地の北麓に位置する四国中央市も例外ではなく、アメダス四国中央観測所(四国中央市妻鳥町)の統計値を見ると、年間を通して東風と西風が卓越し、最多風向は東となっている。
しかし、やまじ風は東風や西風ではなく、地形的に見て最も吹きづらいはずの南風なのである。四国中央市では、普段は四国山地が南風をさえぎるので、南風が吹きづらい。にもかかわらず、時に、とんでもないことが起こる。すなわち、条件が整うと、四国山地の頂上付近の空気が風下側の山麓におりてきて、暴風になることがある。
風が山を越えて吹く時、何が起きるか。図2に山越え気流の概念図を示す。山という障害物があるのだから、風に乱れが起きることは容易に理解できるであろう。山を越える風は、上下に波打つ。これが、山による風の変形であり、山岳波(さんがくは)という。山によって風が変形する範囲は広く、風下側では山からずっと離れたところまで影響するほか、上方には山の高さの数倍に及び、風上側にも波及することがある。
山越え気流の空気がある程度湿っていると、波打った気流が上昇運動する部分に雲が生じ、気流の乱れが可視化される。気象衛星画像では、山脈の上空とその風下側で、雲が間隔を置いて波列状に並ぶのを見ることがある。雲の中で気流が小さな回転運動をしているものは「ローター雲」であり、それが大きく発達して空のほぼ同じ位置にとどまるものは「吊し雲」と呼ばれる。
これらの雲が発生していれば、そこに気流に乱れのあることを察知できるが、空気中の水蒸気量が少ない時は雲ができず、気流の乱れを認識しづらいので、航空機にとって危険である。1966(昭和41)年3月には、英国海外航空(BOAC)の旅客機が富士山の近くで乱気流に巻き込まれて墜落し、124人が死亡した。
さらに問題となるのは、この気流の乱れが地上に及ぶ場合である。大気の成層状態や、風速、山の高さなどの条件が揃うと、山越え気流は、山頂の風下側で、山の斜面に沿って吹きおりる。そして、地上に達してジャンプする現象が起こる。これが、危険なハイドロリック・ジャンプで、流体力学では「跳水(ちょうすい)」現象と言うが、気象の分野では「跳ね水(はねみず)」現象あるいは「砕波(さいは)」と呼ばれることが多い。この現象が起きると、山の風下側の斜面で風速が著しく強化され、建物を破壊するほどの危険な風となる。
やまじ風は、法皇山脈の北麓におけるハイドロリック・ジャンプを伴う山越え気流にほかならない。この暴風は、地上では、条件次第で急に吹き始め、突如として収まる。また、やまじ風は、いわゆるフェーン現象(山越え気流による気温上昇)を伴う。
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