56豪雪 福井県大野市六間通り・大野上・下黒谷 屋根の雪下ろし(Wikipedia https://commons.wikimedia.org/wiki/File:S56heavysnowfall79862.jpg

1980(昭和55)年12月12日、日本海を発達しながら北東へ進んだ低気圧が、翌13日には北海道の北へ進み、大陸から日本列島へ強い寒気が押し寄せ、日本海側の各地で一斉に雪が降り始めた。この冬初めての本格的な降雪である。これが、翌1981(昭和56)年3月にかけての一連の大雪の始まりであり、後に「五六(ごーろく)豪雪」(通称)と呼ばれるようになった記録的豪雪の幕は切って落とされた。その後、年末から年始にかけて、立て続けに大雪が降って影響が深刻化し、鉄道の不通や運休、建物の倒壊、停電、雪崩の発生などが相次いだ。1月後半は降雪の勢いがやや緩んだが低温は続き、2月上旬と下旬には再び強い寒気が入って大雪が降り、豪雪の影響は3月初めにかけて続いた。結局、この冬の豪雪では、全国で103名が命を落とし、住宅被害は5819棟に及んだ。政府は、新潟県や福井県などの41市町村に災害救助法を適用して対応した。今回は、記録に残るこの豪雪について振り返る。

8つの寒波

気象庁の予報用語で「豪雪」とは、著しい災害が発生した顕著な大雪現象をいう。「発生した」と過去形で定義されており、現在起きている現象や、これから起きる現象に対して使う用語ではない。

では、気象庁が「豪雪」と認めた大雪現象が過去に幾つあるのかといえば、2つしかない。それらは、1963年の「昭和38年1月豪雪」(通称「三八(さんぱち)豪雪」と、2006年の「平成18年豪雪」であり、どちらも既に本連載で解説済みである(前者は2022年1月、後者は2023年1月)。もっとも、これは正式に名称を定めた豪雪が2つだけという意味であり、そのほかにも気象庁自身が「豪雪」と呼んでいる大雪事例は幾つかある。その1つが、今回のテーマとした「五六豪雪」なのである。

豪雪は単なる大雪とは異なり、降積雪量のほか、広域性や、持続性・反復性も要件となる。五六豪雪について、そのことを確かめてみる。図1は、五六豪雪の冬(1980~1981年冬季)の最深積雪の分布を示す。東北地方から北陸にかけての日本海側で広範囲に2メートルを超え、山間部では4メートルを超えている。福島県の奥只見や、上越国境に近い新潟県土樽(つちたる)では5メートルを超えた。気象台や旧測候所(現・特別地域気象観測所)の中で、五六豪雪の冬に観測された最深積雪がその地点における積雪深の極値(歴代1位の記録)となっている地点がある。それらは、敦賀(福井県、196センチメートル、1月15日)、高山(岐阜県、128センチメートル、1月8日)、山形(山形県、113センチメートル、1月8日)である。

画像を拡大 図1. 1980/81年冬季の最深積雪(気象庁の資料に着色)

図2は、五六豪雪の冬に石川県輪島で観測された上空500ヘクトパスカル面の気温の経過図である。輪島には気象庁の高層気象観測所があり、冬季には寒波の来襲を監視する重要な役割を担っている。500ヘクトパスカル面は気圧が地表の約半分になる高さで、対流圏を代表する気圧面である。1月の輪島で500ヘクトパスカル面は約5400メートルの高度に相当するが、寒波が来襲した時は5100メートルぐらいに低下する。図2では、摂氏マイナス35度以下の特に顕著な低温期間に陰影が施されている。

画像を拡大 図2. 石川県輪島における500hPa気温の経過(1980年12月10日~1981年2月28日、石瀬の図に加筆)。 グラフの中に記入された数値は気温(小数点省略)、-35℃以下の部分に陰影が施されている

輪島上空の気温で見ると、五六豪雪をもたらした寒波は、12月中旬に第1波が来襲した後、下旬に強烈な第2波、1月上旬に第3波、中旬に第4波、下旬に第5波、2月上旬に第6波、中旬初めに第7波が襲い、2月末にこの冬最も低温の第8波に見舞われたことが分かる。気温で見ると最後の第8波が最も強烈だが、2月末は日本海の海面水温が低極を迎える頃であり、降雪量は多くならない。大雪の脅威に関しては、何と言っても冬季前半の寒波のほうが格段に威力を持っている。五六豪雪の場合は、12月中旬の第1波がかなりの大雪を降らせた後、12月下旬の第2波がより低温で1週間ほども続いて被害を深刻化させ、1月上旬の第3波が追い討ちをかけて豪雪を決定的なものにし、1月中旬の第4波がとどめを刺したと言える。