被災後の石巻市の様子

宮城県石巻市にある標高50 メートルほどの日和山から見下ろした市街の風景は、正直、美しささえ感じさせた。太陽の光が海で反射し、その光が街全体を包み込む。もし、津波さえ来なかったら、ここはどんなにすばらしい場所だったのだろう。
山を降り、街中に足を踏み入れると、俯瞰から見下ろした時の感情とは違う、強烈な悲しみが込み上げてくる。瓦礫の上に置かれた子どもの写真や、家族で使っていただろう茶碗……。当たり前のことだが、1軒1軒に温かな家族の生活が存在していたことを、瓦礫の上を歩いて初めて実感する。


本誌リスク対策.com では、創刊以来、企業・組織の存続をテーマに、事業継続計画(BCP)やリスクマネジメントについて取材をしてきた。ただ、目の前に広がる惨状を前に、BCP やリスクマネジメントをしっかりやっておけば助かったかと聞かれたら、YES とは答えられないだろう。それだけに、無力感とやるせなさが体中を支配した。

海が近くにあるなんて
50 代後半ぐらいだろうか。流された家があった場所で立ちすくむ一人の女性と話すことができた。
「母と、弟がこの下にいるはずなの。介護が必要でね、弟は毎日つきっきりで介護をしていた。おそらく、もう逃げなかったんでしょうね。ただ、この下にいてくれるのか、津波で流されてしまったのか…」。

遺体とも対面できない人が数多くいる。新聞やテレビニュースでは十分に知らされていたことだが、返す言葉も見つからなかった。

ほとんどの建物が倒壊した後の景色はやたらと見通しがいい。平地のはずなのに、遠くに海が見える。女性は「小さな頃は、海水浴によく行ったけど、海がこんなに近くあるなんてね」と、海を見ながら静かな声でつぶやいた。

写真を拡大瓦礫の上に並べられている子どもの写真や思い出の品

ニュータウンから自然の脅威は感じない
宮城県では、仙台港や名取市などの海岸に面したニュータウンも津波に飲み込まれた。全国どこに行っても同じような郊外都市の街並みからは、自然の脅威を感じ取ることができない。

「多くの車が、どちらに逃げればいいのかも分からない状態で混雑し、そのまま津波に飲まれていった」と、名取市に住む男性は話す。

「昔はここは人が住んでいなくて田んぼが広がっていた」(男性)。減反政策により、田んぼは、工業団地や住宅地に姿を変えた。

リスクマネジメントやBCP
「もっと謙虚に自然環境に向き合うべきかもしれない」
宮城県でコンサルタント業を営むRM ブレイン有限責任事業組合の吉田尚代表はこう語る。「これまではシナリオにとらわれすぎてきた。結果、柔軟な対応ができなかった企業もあるのではないか」。

確かに、大きな被害を出したのは津波だけではない。福島県須賀川市では、地震の直後に藤沼湖というため池が決壊して、大量の水が川に流れ出し、家10 数棟をのみこみ8人が死亡、1人が行方不明になっている。身近な自然環境により、引き起こされる災害も姿を変える。もしかしたら、首都直下地震でも、利根川や荒川の堤防が決壊して、同じような複合災害を引き起こす危険性は十分に考えられる。想定外と言われる大災害に、企業・組織はどう立ち向かえばいいのか。今、「想定外への挑戦」が求められている。
9.11 テロから今年で10 年を迎える。高度なリスクマネジメントで知られる再保険市場でさえ、あの世界貿易センターが倒壊するリスクは想定していなかったと言われる。しかし、そんな中でもいくつかの金融機関は、BCP の発動により代替拠点に移り、事業を継続させた。

そして、東日本大震災でも、今号でも紹介したように津波被害の中、生き残った企業がある。

「たまたま生産拠点が残ったから事業が再開できた」との指摘もある。確かにそうかもしれない。しかし、だとしたら、どれほど美しいBCP の姿なら良しとするのかを問いたい。

ある大手企業のBCP 担当者は、「どれだけBCPのシナリオを高めて計画をつくればいいのか」と首をかしげる。今回の震災でBCP がうまくいったのか、いかなかったのかも総括できていない。多くの企業が似たような状況ではなかろうか。

「安否確認に思ったより時間がかかった」「計画していた代替手段に、予定通り切り替えることができなかった」─。こんな反省をよく聞くが、それは手段としての議論であり、BCP の本質とはまた異なる。

企業のBCP 策定支援に取り組むニュートン・コンサルティング(東京都千代田区)の副島一也氏は言う。「BCP が本当に機能した
のかという議論が持ち上がっているが、その議論はBCP に取り組むそもそもの目的を見失っている可能性がある。BCP に取り組む本来の理由は有事に適切に事業継続できる対応能力を高めることで、有事とは事業継続を脅かす全ての事象であり、これを完全に予測・想定することはできない。それでもリスクが顕在化した際の行動手順や代替策を作り備えるのがBCP なのだ」と。

決めておいた手順通りにいったかなんてどうでもいい。BCP で問われるのは成果だけだ。

世界的なBCM の推進を呼び掛けるBCI 日本支部代表で、インターリスク総研の篠原雅道氏は「今後、結果事象の考え方がますます求められる」と説く。身の回りの危険と謙虚に向き合いながらも、それらの災害によって自社の経営資源に結果として、どのような影響が起きるのかこそが企業が備えるべき最大のテーマだ。

今年がBCP 元年になる
宮城県内では今、保険代理店が保険を販売するだけでなくリスクマネジメントについても指導する取り組みが始まっている。

先駆的に活動を続けてきたウィッシュ仙台支店の尾崎洋二氏は「今年が、本当の意味での日本にとってのBCP 元年になる」と語る。被災地では今後、業種によって、景気の激しい浮き沈みが生じる。被災直後に保険会社やマスコミで潤ったタクシー業界、ホテル業界などは徐々に客足が減るかもしれないし、土木・建設業などはこれから受注が高まるだろう。同時に、大手資本も大量に流れ込む。

リスクマネジメントを推進する保険代理店グループのメンバーであるアルマック仙台の加藤啓昭氏は、「これからは事業戦略や財務、業務までを含めた全体的なリスクマネジメント経営が不可欠になる」と語る。

被災地の1日も早い再生を願うとともに、日本のすべての企業がこの震災を契機に今まで以上に強くなることを期待したい。
 (被災から1カ月にあたる4月11 日、現地にて。中澤幸介・上村太一)