運河工事参加に際しての宣誓書(米国政府から要求された。提供:高崎氏)

パナマへ出航

「油なす カリビアの海 風あつく 我灯守の 跡を逐(おい)つつー読人知らず」(「ぱなま運河の話」、青山作と思われる)。明治37年(1904)3月3日、アメリカ政府は、パナマ運河建設に向けて海軍将校ジョン・ウォーカーを理事長とするパナマ地峡運河理事会(ICC)を正式に発足させる。巨大運河の建設事業は、軍隊(陸軍工兵隊)を投入しアメリカ政府直轄事業として展開されることになった。現地測量が一向にはかどらずマラリアなどの風土病対策に遅れを取っている現状に業を煮やした政府首脳部は、鉄道技師ジョン・ウォーレスを主任技師に任命し、本格的な測量に入るよう求めた。しかしながら、専門知識を持つ技術者の確保も思うように進まなかった。明治37年5月4日、アメリカ政府はフランス運河会社から既成工事の現場、家屋などの財産、設計書類などをすべて買い受け、引き継ぎを完了する。5月25日、バア教授はウォーカー理事長宛に私信を送った。

「パナマとコロン(注:太平洋側と大西洋側の主要都市)測量現場技術者を求めているが、応募者が少ない。日本の廣井教授から紹介された青山という日本人青年とエドワード・フェランというアメリカ人を、H・F・ドーズ班長が統括する末端測量員(rodman=ポール持ち)に採用したい。ご理解願いたい」

パナマ運河開削工事は、灼熱地獄の中で、長い雨期には豪雨に打たれて過酷な作業を強いられることから、アメリカ国内からの優秀な技術者の応募は少なかった。

アメリカ国防省からパナマ運河工事採用通知(英文)が届いた。

「パナマ運河開削工事の技術者に1904年7月1日から月給75ドルで採用する。同日、ドーズ班長がいるパナマ運河鉄道会社お蒸気船ユカタン号の船上に出頭せよ。ニューヨークからコロンまでの船舶経費は委員会が用意する。無著名の宣誓書が同封されているが、後日書き込んでいただく。(以下略)」(大意)。

5月27日、青山のもとにICC理事のバア教授から直接連絡が入った。「パナマに技術陣を送り込むことになり、君を末端測量員として一員に加えることになった。6月1日ニューヨークから船で現地に向かうように」。

青山は感謝の意を伝え、早速出発の準備に取り掛かった。5月31日付の国防省からの正式採用通知には、青山の立場は末端測量員であること、無試験で採用したこと、バア教授の紹介であること、月給は75ドルであること、パナマまでの経費はICCが負担することなどが記されていた。正式採用が国防省から出されたことに、アメリカ政府のパナマ運河開削工事に対する決意のほどがうかがわれる。月給75ドルは同年輩の大学卒アメリカ人技師に比較すれば決して高くはない額である。当時の日本円に換算すると190円前後になり、日本の大学を卒業したばかりの青年にとっては破格の高給である。当時の日本では、高等文官試験に合格した国家公務員(高等官、今日のキャリア組)の初任給が月額50円である。大卒の銀行員の初任給は月額35円である。青山は給与の大半を日本の父徹や弟たちへの仕送りに充てた。

6月1日、青山は夏の気配の感じられるニューヨーク港の埠頭に停泊中の客船ユカタン号にアメリカ人技術者らと共に乗り込み、カリビア海を渡ってパナマに向かう。船上で、アメリカ政府への忠誠を誓う宣誓をするとともに契約書にサインし、正規の外国人技術者として大規模工事への参加が認められた。日本人技術者が宣誓した珍しい宣誓書(OATH)であり、英文全文を引用する。

                                 OATH

Prescribed by Section 1757 of the Revised Statutes of the United States.See Act approved May 13,1884.

State of New York: ss

I, A.Awoyama,of Brooklyn, in the County of Kings and State of New York,do solemnly swear that I will support and defend the Constitution of the United States against all enemies, Foreign and Domestic; that I will bear true faith and allegiance to the same;that I take this obligation freely,without any mental reservation or purpose of evasion; and that I will well and faithfully discharge the duties of the office on which I am able to enter:So help me God.

Awoyama

Sworn and subscribed to before me this 1st day ,June,1904.

                                     (Signature)

                                     Notary Public

(原文はイタリック体で、文末に公証人のサインが書かれている)

「私、青山士はニューヨーク州キングズ郡ブルックリンに住むものでありますが、米国憲法を遵守し、国内外のいかなる敵とも闘うことを厳粛に誓います。また、憲法に忠誠と忠節を誓います。私はこの義務を、なんら意中保留や責任回避することなく遂行します。私がこれからかかわろうとする公務に全力を投入することを誓います。神よ、我を助けたまえ。青山士(サイン)。

この宣誓は、1904年6月1日、私に対して誓い提出されたものであることを証します。(公証人)」

採用通知には、次のような条件が記されている。現地で技術者として十分な成果を上げた場合には、帰路のニューヨーク行き船賃は無料となること。成果が上げられない場合または解雇された場合には、帰路のアメリカ行きの船賃は支給されないこと。病気になった場合には、現地の病院で無料で治療を受けられること。有給休暇は毎年6週間であり、休暇の際のコロン-ニューヨーク間の船賃は片道で15ドルであること。(注:これは食事代で船賃は格安になる)。家族を呼ぶ場合にも船賃は片道15ドルであること。

外国人技術者青山士が劣悪な異郷の環境に耐えて、まれに見る成果を上げるのはこれからである。

参考文献:拙書「技師 青山士」(鹿島出版会)

(つづく)