日本における移民問題とは、企業の責任とは(写真:Adobe stock)

移民問題を考える

衆議院選挙は高市政権の高支持率をストレートに反映して自民が圧勝した。民意を反映した安定政権となる可能性もあるが、同時に戦後最大とも思えるリスクも抱えた。勝ち過ぎゆえ、党内に抱えた古き分断構造も強化され、石破政権時に噂された「大同連立」と構造上は同じかたちになるからだ。

この件の詳述は次稿に譲り、今回は国家としての最大のリスクと考えられる移民問題に関して述べさせていただく。

日本は、国際的基準で評価すれば移民大国である。

日本国政府は「入国時に永住権」云々の定義で「移民政策を採っていない」というが、定義自体が間違っている。そもそも「永住権」などという権利は存在せず、「永住許可」という許認可の範ちゅうであって権利ではない。

「共生」という美しい言葉は、異なる考え・風土風習を持つ人が共に相互理解の上、共に生活することだが、それは大規模集団の中にごく少数が入った場合に、手を差し伸べ、仲間に入れるかたちでは成立する。このようなケースでは、既存勢力の制度、規律、風習を受け入れる限りにおいて、排他的に排除することは人道的にもよくない。

しかし、その少数派が一定数を超えると、自己主張が強まり、独立や多数勢力への影響力行使に発展して、集落化まで始まる。この構造は「共生」どころか「分断」でしかなく、少数勢力による反抗であり、既存勢力から見たら部分的にしろ「侵略」に近く、異文化「強制」になってしまう。

地球規模での「共生」と同じ構造を一国の中に当てはめることはできない(写真:Adobe stock)

地球規模での「共生」ならば、それぞれの民族や国家の独立を維持した上で成立し得るだろう。しかし、独立した一国の中で同じ構造をつくることは、受け入れる側の国民の権利を侵害することにほかならない。その影響が微々たるもので助け合いの範ちゅうならばいざ知らず、無視できない悪影響が及ぶまでに至るのはあり得ない。

歴史的には、興隆を誇ったローマ帝国が崩壊したのは世にいうゲルマン民族大移動という移民による侵略の結果である。中国4000年という歴史で、成立王朝は異民族が流入した侵略統治が多い。大航海時代から世界中を植民地化していったのは、アングロサクソンによる現地文化・文明の抑制・排除の結果である。そして今現在も欧州の実情を見れば、移民による悪影響が大きくなり、混迷していることが周知である。

少数派が一定数を超えると問題が顕在化する(写真:Adobe stock)

もちろん、移民がすべて悪意をもって悪影響を及ぼすとは限らず、当地の繁栄に寄与する移民も歴史には多数記されている。それは質の問題である。一方で数の問題もある。どれだけ良質であろうとも、数が圧倒的に影響力を持つまでに増えれば現地文化は衰退するだろう。そして質に問題がある場合は、比較的少数であろうとも、一定数を超えると堰を切ったように問題が噴き出す。

では、この影響が微々たるもので収まる限界の数と質はどう考えるべきなのだろう。