イメージ(Adobe Stock)

1963(昭和38)年と言えば、異常気象の代表格とされる「三八(さんぱち)豪雪」のあった年だ。三八豪雪については、2022年1月に本連載でとりあげた。その豪雪が終わって迎えた春5月、西日本と東日本は長雨にたたられた。そして、この長雨の終わりが見えないまま、季節は梅雨に移行した。このため、梅雨がいつから始まったのかが判然としなかった。植物の生育期にあたるこの時期の長雨は農作物への影響が大きく、特に収穫期を控えた麦類は全滅に近い被害を受けた。

このとき、気象庁は、5月10日に「走り梅雨」の状態であることを認め、20日には「このまま、ずるずると梅雨に入る模様」と発表し、28日には「梅雨に入った」と発表した。しかし、事後検討の結果、この年の梅雨入りは、東海地方で5月4日頃、関東甲信地方で5月6日頃、中国地方で5月8日頃と判定された。いずれも、平年より1か月ほども早い梅雨入りとなった。また四国地方と近畿地方については、この年の梅雨入りをあえて特定しないこととした。今回は、こうした特異な梅雨について述べる。

卯の花腐し

梅雨(つゆ)は、「晩春から夏にかけて雨や曇りの日が多く現れる現象、またはその期間」と定義されている(気象庁の予報用語)。それ以外の時期にも雨や曇りの日が多く現れることがあり、春先に現れるものは「菜種(なたね)梅雨」、初冬に現れるものは「山茶花(さざんか)梅雨」などと、その頃に咲く花の名前を用いた風流な名称で呼ばれることもある。梅雨入り前の5月頃に現れる長雨は、「卯の花腐し(うのはなくたし)」と呼ばれる。ちょうどその頃に咲く卯(ウツギ)の花を腐らせるほどに降り続く雨という意味で、俳句の世界では夏の季語になっている。

1963年5月に現れた長雨は、まさに「卯の花腐し」であった。問題は、それがいつまでも続き、梅雨とつながってしまったことにある。「卯の花腐し」は、いったん終了して曇雨天が途切れるならば、「梅雨の走り」あるいは「走り梅雨」とみなされるが、はっきりとした途切れのないまま梅雨本番に入ってしまうと、「卯の花腐し」の期間をも梅雨とみなさざるを得なくなる。

図1に、東京における1956(昭和31)年から1997(平成9)年まで42年間の、5月の天候ダイヤグラムを掲げる。この資料では、5ミリメートル以上の降雨のあった日を「●」、1ミリメートル以上5ミリメートル未満の降雨のあった日を「・」で示し、それ以外の日は日平均雲量によって「くもり」「晴」「快晴」のいずれかに分類し、右上の凡例に示す記号で記入している。この中で、1963年の列に並んだ31個(31日分)の記号の配列を見せられて、梅雨の始まりが「5月6日頃」であると説明されても、すんなりと納得するのは難しいかもしれない。東京の天候経過だけで関東甲信地方の梅雨入りが決まるものではなく、また判定には気圧配置なども参考にされるが、かように梅雨の判定は悩ましいものがある。

画像を拡大 図1. 東京の5月の天候ダイヤグラム(1956~1997)。日本気象協会編『気象年鑑』に基づく

 

図1の下に、筆者が簡単な表を付加した。「●・」欄に記入した数値は「●」と「・」の日数の合計値で、これは雨天日数(1ミリメートル以上の降雨のあった日数)を表している。その下の行には「晴」と「快晴」の合計値を記入しており、これは晴天日の日数を表している。「差」と表示した欄は、雨天日数から晴天日数を減じた数値であり、この値が正(+)であれば月間の天候は雨天日が優勢であったことを示し、負(-)であれば晴天日が優勢であったことになる。この表の数値を見ると、1963年の特異性がよく分かる。図1に示した42年間では、1963年は、雨天日数が18日で最多、晴天日数が6日で最少、「差」は+12で最大となっている。図1では、「差」が+5以上の年を薄い緑で着色した。すなわち、雨天日が特に優勢であった年として、1963年のほか、1956(昭和31)年、1989(平成元)年、1976(昭和51)年を挙げることができる。これらの年は、農作物の生育が芳しくなかった。