1991年、ハイウェイ80号線沿いに並ぶ破壊された車(出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Demolished_vehicles_line_Highway_80_on_18_Apr_1991.jpg)

前回は本社及び中東地域の統括機能を持っていた中東事務所の危機管理対応でBCPの初動を見ましたが、今回は本社と日本へ避難後に本社内に臨時に設置された「中東室」を中心に、1990年8月2日のイラク侵攻後から、1991年1月17日に始まった第一次湾岸戦争(砂漠の嵐作戦)開始までに行ったBCPの取り組みをみていきたいと思います。

Ⅰ.事象の整理

1.BCP対応‐原油の手当て

1990年8月2日
(1)イラクの侵攻のあった2日の10時45分に本社調達部門から、原油・製品の出荷状況をチェックするようT氏に指示。KOTC(クウェート国営タンカー)の担当者に確認したところ、設備に損傷はなく、依然出荷を継続しているとの返事。その旨を本社に伝えようとした際には、国際電話は通じず。緊急時に備えて取り付けておいた自動車電話で連絡。

(2)東京からも中東事務所からも連絡がつかないT氏の安否を気遣いつつ、本社調達部門と中東事務所(在アブダビにあり、中東全般を管轄する拠点)で、8、9月分の原油確保が緊急課題になる。イラクから日本への輸出(原油+石油製品)は270万バーレル/日、クウェートは140万バーレル/日で、日本の輸入量の約11%に相当。

(3)もともとの8月の輸入予定量は、イラクとクウェートで大型タンカーVLCC(25万トン)1隻分の数量。8月分の原油手当てとともに、9月分の確保も必要となる。増量の相手先候補は、アブダビとイラン。早速、アブダビ国営石油会社と中東事務所の担当が折衝。一方で、各国の産油国の要人に対しても、本社経営陣から協力を要請。アブダビ国営石油会社は、長期契約や日常的なコンタクトもあり快く応じてくれる。

8月3日
イランはクウェート事務所のT氏の管轄であったが、T氏の代わりに中東事務所がバックアップを実行。8月3日は金曜日でイランの国営石油会社は休日。中々電話が通じない中、担当者の自宅にアブダビから電話を入れ交渉。9月分として、大型タンカーVLCC一隻分を確保。

8月4日
再度本社から8月分の追加手当ての要請が来る。中東事務所の担当が再度交渉。この時点で、他社からの買いが殺到。昭和28年のN丸事件の記憶が残るイランの国営石油会社Nは、大型タンカーVLCC一隻分を優先的に割り当てる。なお、この時点で、イランは欧州向けに販売すれば高く売れたが、同じアジアの同胞の助けになればとの思いから、かなりの量を日本向けに振り向けている。

8月10日
全中東地域の駐在員・家族が避難のために帰国。本社に所長以下8名で「中東室」を設置。10月、11月の原油の手当てをアブダビ、サウジの増量で実施し、3か月分の原油を確保。「中東室」は各国との調整・オペレーションを東京本社から開始。