2017/04/12
防災・危機管理ニュース
除染はどうなった
VXで汚染された金正男氏が、自分の顔を触った手でどこかを触らなかったのか。少なくとも、空港医務室や救急車の中ではリスクが高いと推定できる。実行犯の女二人も同様である。それらの汚染は、一体どうなったのだろうか。空港は、除染されることもなく、通常の業務を続けていた。体調不良を訴えた職員もいたのかも知れない。それも、VXの症状とは気づかれることもなく処置されたのだろうか。
通常、空港内では一定間隔でクリーニングが行われているはずである。知らないうちに、床や壁面のVXも拭き取られていたかも知れない。
バイナリ―
この事件の翌日から、筆者にも新聞社やテレビから電話取材が入った。その中で、関心のポイントは、実行犯の女が死んでいないという点であった。わずか10mgが皮膚に付着しただけで死に至るというVXを素手で塗り付ければ、自分自身も生きてはいられないのではという疑問は当然出てくる。何か可能性だけでもと懇願するテレビ局のワイドショー担当者に、思わず「バイナリ―兵器」の話をしてしまった。これは、今でも後悔している。
バイナリ―兵器とは、もともと高毒性の神経剤充填砲弾やミサイルの保管に困った米軍が、安全性を考えて開発、装備化したものである。前駆物質(原料)2種類を仕切り板で分けて別々に砲弾内に入れて、発射の衝撃で仕切り板が破砕して両液が混ざり、飛翔間に反応が進んで、弾着する時にはVXやサリンになっているというものであった。
従って、少し考えればわかるように、100%反応が進むわけもなく、温度や時間等の条件にも左右される。ただ、保管中の砲弾からの漏れや国内の神経剤貯蔵施設の周辺住民の反対運動に悩んでいた米軍からすれば、一定の解決策ではあった。
テロへの応用
このバイナリ―の化学テロへの応用が懸念されるようになったのは、イラク戦争あたりからである。イラクのサダム・フセインが、戦場だけでなく、ロンドンでもニューヨークでも神経剤を使うのではないかという専門家の指摘は当然であった。その中で、元OPCW検証局長ロン・マンレー氏は、極端な例としてドラム缶にジフロライドと○○○を入れて、ごろごろ転がしてもサリンが合成できるという可能性を語っている。
では、VXもまた同様に金正男氏の顏の上で合成できるのだろうか。まず、VXの合成というのはG剤系の神経剤、サリンやソマンといったものよりも格段に難しい。
駆け出しのテログループにできるものではない。もちろん、オウム真理教は、上九一色村にしっかりした施設と頭脳明晰な研究者を揃えていたからこそ一定量を合成し、3件のVX殺人(未遂2件)を敢行した。しかし、その純度は低かったと推定できる。これは、サリン等と違い減圧蒸留により精製ができないことも関係している。(沸点が高いので熱分解してしまう。)
低濃度でも
しかし、純度が低いといってもVXである。わずか、霧雨の一滴(10mg)が付着すれば死に至るという。これが、僅かでも生成されれば、金正男氏を死に至らしめたのかも知れない。バイナリ―説、即ち二人の女が別々の中間体を被害者の顔に塗りつけた可能性は、筆者だけでなく、韓国の専門家や米国MITの専門家からも提起されている。また、最近ではQLやイオウといった中間体が被害者から検知されたとの報道もあった。
特に、韓国では、北朝鮮の化学兵器や暗殺技術を研究している専門家もいるようであり、その信ぴょう性は高いと思われる。また、同国は過去の経緯から、バイナリ―技術には一定の知見があると見られる。(同国の意向もあり、細部はここには書かない。)
生き残れる可能性はあったか
金正男氏が死亡した今となっては、タラレバの話をしても仕方がない。しかし、このような事態にあっても生き残るための方策をイメージしておくことは、オリパラやその他のビッグイベントにおいてVIPの警護を考える上でも役に立つかも知れない。
まず、何が起こったのか、何が危険なのかわからない状況を一刻も早く脱することである。除染プロセスからすれば、不明な液体を塗り付けられたらすぐに拭き取る、ワイプ・リンス・ワイプで洗い流すといった着意は命を助ける。さらに、北の化学兵器の脅威を考えれば、RSDLのような専用の皮膚除染ローションを準備できればさらに有利である。(皮膚に付着したVXと反応して無毒化できる。)これは、実際に伊勢志摩サミットでも準備されていたアイテムである。アトロピン、パムなどの拮抗薬とともにである。
現場にRSDLと神経剤用オートインジェクターがあればと思うと悔やまれる。もちろん、現場の状況判断能力やノウハウは不可欠である。マレーシアの教訓を、日本で生かせるだろうか。この事件の映像を、ISISも国内の工作員もローンウルフ型のテロリストも見ているだろう。例えば、何かのドラマであったように、大統領と握手する時に、薄い透明手袋に何かを塗り付けているといった事案が発生するリスクは常にある。
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