「外交行嚢」だけでなく

今回のVX、あるいはその中間体は「外交行嚢(こうのう)」(外交封印袋)で送られたためにチェックができなかったのではないかという報道がなされている。しかし、通常の手荷物ならチェックできたのかという点に関しても疑問が残る。成田でも羽田でも、香水の小瓶に詰められたVXをチェックできるだろうか。同じ質問を財務省の関税関係者に尋ねてみたこともあるのだが、そのあたりは触れないでおく。明らかに挙動不審で、ラマン分光光度計等で確認するところまで行けば、引っかかることがあるかも知れない。今回の事件の教訓を踏まえて、VXだけでなく、他の危険物も含めてインテリジェンスも組み合わせた総合的なシステムの構築が望まれる。

オウム真理教の場合

今回の事件により、期せずして22年前のオウム真理教によるVX殺人事件が国民の間で思い出されることとなった。地下鉄サリン事件に先立つ1994年12月から95年1月に起こった3件のVX殺人(未遂も含む)は、サリンの陰に隠れてかそれほど国民の記憶に残っていないようである。ここで、改めて取り上げるのは、VXだと判明するのに、当時でも時間がかかったことを知って頂きたいためである。

例えば、新大阪での浜口さんの殺害事件では、かなり大きな注射器(18G)でVXを背後からかけようとして、誤って首筋に刺してしまい、犯人を追いかけた被害者が途中で倒れたと言われている。死因は判らなかったが、血液サンプルが残され、約1年後に米国に送られてVXが使用されたと判明した。他の2件でも、脳溢血等と疑われ、VXによるものと判明したのは実行犯たちが逮捕された後である。

では、今このような事件が起こったら、我が国の警察当局のCBRN鑑識能力は大丈夫だろうか。あるいは、消防の救急隊員が不用意にVXに触れることはないだろうか。また、毒性の高い化学剤はVXだけではない。後述するが、北は様々の化学兵器、未知のものも含めて、を保有している可能性がある。それを、世界のどこで使うのもためらわないだろう。必要となれば、我が国の国内も含めてである。

間違った推理

この暗殺事件が起こって間もなく、まだほとんど情報がない中で、筆者の脳裏をよぎったのはロシア語で「新参者」というコードネームで呼ばれる化学剤であった。米国政府は、大きく一括りにしてNTA(Non Traditional Agents)と呼ぶこともある。バイナリ―で使うこともでき、VXの8倍の毒性を持つと言われる。これまでの検知分析にかかりにくく、体内でもリン酸エステルの形になるので痕跡が残りにくいという話もあった。従って、マレーシア当局が検知同定に何日もかかっている状況から、これではないかと推測したわけである。VXなら、検知同定までにそんなに時間はかからないという思い込みがあった。

結果として、この推測が外れてよかったと思っている。旧ソ連が開発したこの「新参者」を北朝鮮が受け継いでいたとしても、少しも不思議はない。今でも、ロシア、シリア、北朝鮮の3国は化学兵器で三位一体と言われている。 

我が国の対応は

日本であれば、金正男氏は入国審査の指紋チェックで身元が判明して上陸拒否されるので、今回のような暗殺は起こりえなかっただろう。ただ、それほど有名でない人物が偽名を使って入国する可能性はどうなのか。日本は北と国交がなく、北の作戦インフラとしてはマレーシアよりも脆弱にならざるを得ないだろう。治安当局の監視も効いていると思いたい。ただ、多くの工作員がすでに入国している可能性もある。

空港で客が体調を崩して急死しても、それが重要人物とチェックされていない限り、即座に暗殺を想定することは難しいかもしれない。これは、マレーシアと同様である。ただ、我が国でも最近は見逃された殺人を防ぐ枠組みが強化されており、警察庁が全国に薬物検査キットを配布しているという。しかし、それで全ての薬物が分かるわけもなく、そもそもCBRN鑑識の技術と意識は低いように感じられる。

さらに、情勢が緊迫し、北が日本に対する化学テロを実行する可能性も否定できない。しかし、今回の事件を受けてCBRN対策を強化しようという声はセキュリティ関係者も含めてほとんど聞こえてこないのが現状である。オウムのサリン使用やVX殺人事件を経験した国とは思えないほど反応が鈍いのはなぜだろうか。

おわりに

マレーシアは、国際社会に対して、あるいは北朝鮮の不当な要求に対して、外交的には実に毅然とした態度で見事に対処していると思う。 

一方で、今回のVX暗殺事件は、期せずしてそのCBRN対処能力や準備のレベルを国際社会に知らしめる結果となったのかも知れない。

そして、それを傍観者的に見ている感のある我が国の関係者にとっても、同じ事態、あるいは少しだけ形を変えた事態に、初動で何ができるのかをイメージする格好の機会であったと思う。

少なくとも、今、国会で議論すべきは小学校の認可や答弁の齟齬ではなく、今そこにある危機ではないだろうか。

(了)