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東京の気象資料を見ていて、気になるデータがある。海面気圧の最低記録(952.7ヘクトパスカル)が、1917(大正6)年10月1日に記録されているのである。100年以上も破られていないこの記録を生んだ気象じょう乱は、関東地方を襲った台風であった。このときの台風は、東京湾沿岸に甚大な高潮災害をもたらし、「東京湾台風」とも呼ばれた。ラジオ放送が開始されたのが1925(大正14)年だから、放送というメディアがまだ存在しない時代、第一次世界大戦(1914~1918)のさなかに発生したこの気象災害について、少ない資料を駆使しながら、現代にも通用する知見と教訓を探り出してみたい。

最低気圧の極値

わが国で、気圧の低い記録は、強い台風に伴って観測されることが多い。図1は、各地点における最低気圧の極値(歴代1位の値)を記録した要因と、じょう乱中心の経路を示したものである。小円形の記号は、最低気圧の極値が台風によって記録された地点を示している。関東から西の各地は、例外なくすべての地点で、台風によって最低気圧の極値が記録されていることが分かる。図では省略したが、南西諸島でもすべての地点で、台風によって最低気圧の極値が記録されている。

画像を拡大 図1. 最低気圧を記録した要因

 

大正6年の台風については黄緑色で示している。この台風によって観測された最低気圧がその地点の極値になっているのは、東京のほか、横浜、甲府、熊谷、前橋、宇都宮、福島、山形の計8地点にのぼる。図1に記入されている地点の中には、大正6年当時はまだ開設されていなかった観測所も少なくない。それにもかかわらず、108年を経た現在でも、8つもの地点において最低気圧の極値であり続けている事実は、この台風の強さを物語る。

このほか、名古屋など1959(昭和34)年9月の伊勢湾台風によって最低気圧の極値を観測した地点は赤で塗りつぶした小円で示されており、台風中心の経路に沿って分布している。四国・近畿・北陸地方では、1961(昭和36)年9月の第二室戸台風によって最低気圧の極値を記録している地点が多く、それらは橙色の小円で示される。鹿児島、宮崎、大分、広島などは、終戦直後に来襲した1945(昭和20)年9月の枕崎台風によって最低気圧の極値がもたらされ、それらは黄色の小円で示される。九州北西部から山陰地方にかけては、1991(平成3)年9月のいわゆる「りんご台風」が要因になっており、ピンク色の小円で示されている。

記憶に新しいところでは、図1に濃緑色で示した2019(令和元)年10月の東日本台風が東日本一帯に大きな被害をもたらしたが、伊豆半島から関東南部にかけて、大正6年の台風と経路がほぼ一致し、静岡県の網代(あじろ=熱海市)と三島(三島市)で最低気圧の極値が塗り替えられた。

これらに対し、北日本では、発達した温帯低気圧によって最低気圧の極値を記録している地点が多く、それらは図1において、ダイヤモンド形(◇)の記号で示される。本連載の2020年1月「低気圧の猛威」で解説した「昭和45年1月低気圧」は紺色で、2020年5月「メイストーム」で解説した1954(昭和29)年5月のメイストームは空色で、2023年2月「冬の高潮」で解説した2021(令和3)年2月の低気圧は褐色で表示した。なお、図1は、本連載の2020年1月「低気圧の猛威」に掲載した図をアップデートし、かつ修正を加えたものである。