【特別寄稿】
京都大学防災研究所 准教授 牧 紀男

東日本大震災では、自衛隊や消防、警察などが迅速な対応を見せる一方で、基礎的自治体であ る市町村の庁舎や職員が被災するなど、行政 機関の対応は明暗が分かれた。各機関の調整 にあたった都道府県の災害対策本部ではどの ような対応がとられ、何が課題として浮かびあ がったのか。京都大学准教授の牧紀男氏に特別 寄稿いただいた。

「緊急災害対策本部」の設置

2011年3月11日に発生した東日本大震災では1961年の災害対策基本法の制定以来はじめて国の危機対応組織としては最上位にあたる内閣総理大臣を本部長とする「緊急災害対策本部」が設置された。あまり知られていないが1995年の阪神・淡路大震災では災害対策基本法に基づく組織としては「非常災害対策本部」が設置されただけであり、「緊急災害対策本部」は設置されていない。その代わりに、準ずるものとして「緊急対策本部」(災害が入っていない)が設置された。これは阪神・淡路大震災当時は、経済統制等を伴う「災害緊急事態の布告」が「緊急災害対策本部」設置の条件となっており、さらに「災害緊急事態の布告」には国会の承認が必要であり、設置が難しかったことがその理由として上げられる。

阪神・淡路大震災の教訓を踏まえ、災害対策基本法の改正が行われ「災害緊急事態の布告」を行わなくても「緊急災害対策本部」を設置することが可能になり、また「現地災害対策本部」の設置についての規定も設けられた。今回は「緊急災害対策本部」が設置されると共に、宮城県に災害対策基本法に基づき内閣府副大臣をトップとする「現地災害対策本部」、岩手県、福島県に「政府現地連絡対策室」が設置された。東日本大震災の対応では、阪神・淡路大震災後に設置された緊急対応組織である自衛隊の災害派遣、緊急消防援助隊、災害派遣医療チーム(DMAT)、広域緊急援助隊(警察)といった組織も発動され、災害直後から活動が行われた。このように初動の立ち上げという面では阪神・淡路大震災の教訓は活かされたと言える。


災害対策本部の設置と危機管理機能の喪失

災害発生が執務時間中であったこともあり、各自治体では迅速に災害対策本部が設置された。都道府県レベルでは表1に示す通り23の都道府県で災害対策本部が設置された。災害対策本部は、強い揺れに見舞われた東北・北関東地域だけでなく津波の被害が予想された徳島・高知といった四国の自治体で設置された。また3月12日に長野県、3月15日に静岡県で災害対策本部が設置されたのは、その後に発生した地震に伴うものである。

阪神・淡路大震災と異なり県庁が激甚被災地に立地するということは無く、さらに執務時間中の災害であったため災害対応組織の立ち上げは迅速に行われた。しかしながら、福島県庁のように県庁の建物自体の安全性の確認がとれないため別の建物に災害対策本部を設置したような事例も存在する。

その一方で岩手県・宮城県の沿岸部の市町村では災害対応の核となる市役所庁舎・災害対策庁舎が津波による被害を受けて使えないという事態が発生した。宮城県の南三陸町では災害対策棟が津波により壊滅的な被害を受け、職員が亡くなるという事態も発生した。岩手県では陸前高田市、大槌町で市役所の庁舎が津波で全損し、別の施設で災害対応業務が行われ、釜石市でも津波浸水域にある市庁舎ではなく、内陸部にある施設に災害対策本部が設置された。役場が壊滅的な被害を受けた岩手県の大槌町では災害対応の核となるべき町長が津波で命を失うという事態も発生し、市町村レベルでは災害対応組織の立ち上げに大きな問題が発生した。また、災害発生直後は、津波により通信線が物理的に切断されたため、市町村と県との間の通信が衛星回線を利用した通信網以外は利用できないという問題も発生した。

岩手県の危機対応


岩手県では地震発生と同時に災害対策本部会議が自動設置された。災害対策本部の機能は、1日に1 回もしくは2回実施される知事、県庁各部局の長、国・自衛隊といった関係機関が、災害対応方針の確認、 災害状況の共有を行う 「災害対策本部会議」と、 実際の災害対応が実施される 「災害対策本部支援室」 から構成される。 「災害対策本部会議」は、総合防 災室長の司会で、1)被害状況の報告、2)天候の確認、3)災害対応状況の報告、4)他機関からの報告、5)活動方針の確認、という流れで通常30分程度の短時間で終了する。



実際の災害対応の中心となるのが「災害対策本部支援室」である。災害対応を行う上で、災害対応に関わる全ての関係者が同じ情報に基づいて対応にあたれるよう「状況認識の統一」が重要となる。そのためには、 行政職員だけでなく災害対応に関わる様々な機関の関係者が一堂に会して対応にあたる必要があり、岩手県では大きな会議室を利用して「災害対策本部支援室」が設置された。支援室では、災害対応にあたる県職員、自衛隊、海上保安庁、医療チーム(当初は DMAT) 、緊急消防援助隊、警察の職員 が一堂に会して災害対応が行われ、毎朝、 危機管理監の司会で、活動する県庁・他機関の要員による当日の行動に関する確認会議が実施された。



しかしながら、災害対応は県庁レベルのみで行われているのでなく、実際の活動は被災市町村レベルで実施される。県庁の災害対策本部には市町村の担当者はおらず、市町村との情報共有が課題として残されている。岩手県の場合、沿岸部の被災地と県庁がある盛岡市が離れているため被災地の後方支援基地として遠野市が重要な役割を果たした。




時間経過に伴う対応組織の変化


災害対応活動は、大きくは命を守るための活動である「緊急対応」(Emergency Response) 、避難所の運営や給水・給食といった「応急対応」(Relief)、 そして復旧・復興(Response)から構成され、時間の経過と共に、中心となる対応課題が変化していく。



命を守る活動については、医療チーム、自衛隊・消防・警察といった危機対応の専門機関が中心的な役割を果たす。 そのため 「災害対策本部支援室」 においても、 発災直後は自衛隊、消防、医療チームが大きな場所を占めて活動を行っている。岩手県の災害対応組織において注目すべきは「航空班」の存在である。緊急消防援助隊、 陸海空の自衛隊、 海上保安庁、 岩手県航空隊の職員が一同に会し、希少資源である航空機の運用について一元的な管理が行われていた。 また、自衛隊との連携が上手く行われた事も岩手県の特徴であり、第9師団の師団長をトップとする岩手県連絡調整所が岩手県庁に設置され、岩手県との密接な連携の元に自衛隊の活動が実施された。



3月中旬になると、命を守る活動も一段落し、避難所運営、給食・給水といった「応急対応」へと災害対応活動の中心が移行し、県庁各部局の活動が中心となっていく。岩手県は3月25日付けで本部支援室の体制の見直しを行い、新たに「応急対策班」 「復 旧対策班」が設けられる(図2)。そのため「災害対策支援室」のレイアウトも変更され自衛隊の占めるスペースが縮小される。 「状況認識の統一」のためには、「応急対策班」「復旧対策班」も同じ部屋で執務する必要がある。しかしながら、各チームのリエゾンが参加する会議は定期的に開催されたが同じ部屋で執務することは行われず、他機関との連携だけでなく、県庁各部局間の情報共有にも問題が発生したと考えられる。



災害発生から2カ月程度が経過した5月の連休明けには、航空班の活動も終了し、災害対応活動の中心は、応急対応と復旧・復興対応に移行し、災害対応活動は担当する部局の執務室で「個別に」実施されるようになる。一方、「復興」が大きな課題となり4月25日に復興局が設置されるようになる。 そして、 災害発生から5カ月後の平成23年8月11日15時45分に災害対策本部が廃止される。



「組織の立ち上げ」 、「命を守る」 活動については、 岩手県では、阪神・淡路大震災、岩手・宮城内陸地震 (2008) の教訓を活かし、自衛隊、 緊急消防援助隊、 DMAT等の県庁以外の機関との連携も上手く行われ、ヘリによる患者輸送も効率的に行われる等、格段の進歩を見せた。 その一方で応急対応においては、 避難所への物資の輸送が滞る等の問題も発生した。



東日本大震災の応急対応期における最大の課題は燃料不足であった。物資は届いてもガソリンが不足しているため、末端の避難所まで物資を配達できなかったのである。燃料不足が最大の問題ではあったが、「応急対応期」においては担当する部局が一堂に会しての対応は行われず、「状況認識の統一」という面から見ると課題が残される。



東日本大震災では被災地域が広域であり被災市町村全体について、多岐にわたる事後対応項目の進捗状況を一元的に把握することが困難であった。そのため、筆者らのチームは岩手県において図4に示すような情報認識統一のための情報集約フォーマットを作成し、事後対応の進捗状況を一覧で把握するための支援を実施した。この図は列を見ると各対応項目の進捗状況、行を見ると各市町村の対応の進捗状 況を把握する事が可能になっている。今後、多岐にわたる災害対応の課題を一元的に把握し、災害対応に関わる全部局が一堂に会して対応を行うような仕組みの構築が求められる。




災害対策基本法と原子力災害特別措置法


東日本大震災では、津波・地震といった自然災害に加えて、福島第1原子力発電所において原子力発電所の重大事故が発生した。これも初めての事態であるが「原子力災害対策特別措置法」に基づく内閣 総理大臣を本部長とする「原子力災害対策本部」が 設置された。 「原子力災害対策特別措置法」が制定 される契機となったのは1999年9月に茨城県東海村で発生した 「ウラン加工工場の臨界事故 (JOC 事故) 」である。原子力防災においては「被害を発生させない事」を中心とした対策が講じられてきたのであるが、発災時の対応を強化するためこの法律が制定さ れた*3。この法律では、 原子力災害が発生した場合、 現地に設けられたオフサイトセンター「緊急事態応急対策拠点施設」に国・自治体を構成員とする「原子力災害合同対策協議会」を設置し、国が中心となって対応にあたることとなっている。今回は、オフサイトセンターも避難指示対象地域となり、福島県庁 に「原子力災害現地対策本部」が設置された。県庁 には県の組織である「災害対策本部」も設置されており、組織上は2つの組織が原子力災害に関する対 応を行うこととなっている。国レベルでも災害対策基本法に基づき自然災害に対応する「政府現地連絡 対策室」が別途、県庁内に設置されている。 多くの組織が設置されることは 「状況認識の統一」 を困難にし、ひいては効率的な災害対応が行われないという結果を招く。発災後の対応は、ハザードの違いによって、それほど大きな差はない。今後、詳細な検討が必要であるが、効率的な危機対応を行う ためには一元的な体制を構築することが重要であり、 今後、マルチハザードでの一元的な危機対応のあり方について検討を行っていく必要があると考える。



本論は牧紀男 「行政の危機管理」自然災害科学98, Vol.31,No.2,印刷中, 2011を 、 加筆修正を行ったものである。



*1防災行政研究会、逐条解説災害対策基本法、 ぎょうせい、 2002


*2岩手県総務部、岩手県災害対策本部における支援室体制の強化について、 平 成23年3月25日報道用資料


*3原子力災害対策特別法の目的として、この法律は、「 原子力災害の特殊性に 配慮し、原子炉等規制法、 災害対策基本法などの足りない部分を補い、 原子力災害に対する対策の強化を図ったもので、以下の3点が定められています。


迅速な初期動作と国、都道府県、市町村の有機的な連携の確保、原子力災害の特殊性に応じた国の緊急時対応体制の強化。 原子力防災における原子力事業者の責務 役割の明確化、特に、緊急時に国と地方公共団体が緊密な連携を保ちながら対応できるよう、 現地にオフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)を設置し、原子力災害現地対策本部および原子力災害合同対策協議会を組織して対処することが定められています。電気事業連合会ホームページ、 http://www.fepc.or.jp/present/safety/bousai/sochihou/index. html 、 2011年8月30日閲覧