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9.11後のニューヨーク市でOEMが格闘したブルースの偏見の中でも最も恐るべき敵だったのは、ストーリーである。ストーリーはアイデアを聞き手が受け入れやすい形で伝えることができるので学ばせるのには好適である。だがストーリーは危険でもある。小さな満足感を与えてしまうからだ。全く理解していないのに分かったと思わせてしまうのである。

悪いストーリーは頭の中の岩である。硬くて動かすことができず、思考のために必要なスペースを占拠している。この本の使命は悪いストーリーとはどんなものかを述べ、神話として追いやることである。同時にそれらに代わるものとして良いストーリーでいっぱいにしなければならない。
悪いストーリー、災害ビジネスにおいては最もひどい神話から始めよう。地域社会全体の神話である。

 

地域社会全体の神話

このよくあるストーリーでは、自然災害・テロ行為・パンデミックなどの災害に備えるのは政府の責任ではない。地域社会全体の神話では、個人、家族、企業、社会奉仕団体、地域活動団体、非営利グループ、学校など、全ての者がレジリエントな国を作るために、手と手を携えて協力している。あまりに聞こえが良すぎて本当ではないのではないか、実際そうなのである。

今日、個人、家族、企業、社会奉仕団体、地域活動団体、非営利グループ、学校は多くの問題を抱えている。宿命論・反抗的な態度・コスト・筋違いの自信・自己満足・信頼・古き良き先送りなどの問題が準備の真の前進を妨げている。

全ての神話と同様に、地域社会全体の神話には一粒の真実がある。大勢の人が災害の準備に汗を流しているということだ。集合体のレジリエンスを高めるために、あらゆる場所で、組織化された方法で、それが同時に行われているという考えは虚構である。誰もが何かをしているというのは、誰も何もしていないというのに等しい昔ながらの混乱した考えである。

地域社会全体というのは災害専門家が作り上げたストーリーである。それがあるという人がいるのは、責任を回避することができるからである。国の災害対応準備をリードするのは自分たちの責任というよりは、それはあなた方の責任だと言い返す方がずっとたやすいことである。

 

七面鳥のストーリー

悪いストーリーにとって代われるのは良いストーリーだけなので、良いストーリーは貴重である。良いストーリーの例は、ターレブの七面鳥のストーリーである。

「毎日たらふく餌をあてがわれる七面鳥を考えてみよう。
一回一回の餌のたびに、七面鳥のことを思う人類の友人から毎日餌が与えられるのは一生の決まりなのだという信念が固められる。勤労感謝の前日、水曜日の午後、彼らに予期しないことが起きる。それは彼らの信念を覆すことになる」。

これは、いい話があるから良いストーリーなのではない。それは我々に極めて重要な教訓を与えてくれるから良いストーリーなのである。過去に起きたことはこれから起きることとは無関係である。七面鳥の信念は餌の回数が増すごとに強まり、目前に迫った屠殺(とさつ)が近づくにつれてますます安全だと感じる。

七面鳥が翌日まで生き延びるとすれば、それは不死であるか、死の一日前であるかのどちらかである。もし我々が明日まで生存するとすれば、我々の重要なインフラが絶対確実なものであり社会安全システムが不可侵なものであるか、大災害に一歩近づいているかのどちらかである。
いずれの結論も同じデータから導かれたものである。