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8月29~30日、ニューヨーク市ブルックリン、OEM本部緊急事態オペレーション・センター(EOC) 

監視司令部はあの8月の暑い日の午後、任務チームの責任者に何度もコンタクトを試みた。24時間待機中の任務チームはニューヨーク市EOCの対応を調整する緊急事態マネジャーからなるものである。ホワイト・チームを率いるのは副局長のヘンリー・ジャクソンである。ホワイト・チームが当番であり、核対応の実行を任される。ジャクソンの仕事はすべてのスイッチを起動し、すべての人員を配置につかせることであった。そのために必要なのはグレート・マシーンのスイッチを入れて全員を乗り込ませることである。

グレート・マシーンの中核であるニューヨーク市EOCはホワイト・チームが、正確な情報を、それを必要とする全ての人に―的確な場所と的確な時間に―提供し、問題を発見し解決するためのツールである。

今回の出来事に関しては、これらの1つでさえその困難はいくら強調してもしすぎることはないし、まして3つのすべてについては言うべくもない。

ホワイト・チームはグレート・マシーンを準備して、スイッチを入れて、ニューヨーク市核対応計画(NYC NRP)の発動を開始した。NYC NRPは初めに地方、州、連邦の機関および民間、非営利、非政府、宗教団体の、そしてボランティア組織と繋がっていることを確認した。それぞれの役割はNRPに規定されている。

しかしその日、いくら時がたっても、ホワイト・チームはこれらのうちのどの1つもなしえなかった。

それは監視司令部がヘンリー・ジャクソンあるいはホワイト・チームの誰とも連絡がとれなかったからである。

幸運にもニューヨークには他にも人がいた。全米核対応計画の下でFEMAとニューヨーク市の合同チームは、ニューヨーク市、タイムズスクエアの北40キロのニューヨーク州バルハラにあるウェストチェスター・コミュニティ大学に合同の現場事務所を開設した。メガJFOと呼ばれる巨大なEOCである。全米各所からの災害専門家が集結し、48時間のうちに4000人を超える陣容となった。

計画通りメガJFOは地方と州の非常用備蓄・供給契約を発動した。緊急事態管理支援契約(EMAC)と地方・地域間互助契約によって得られるモノはすべて取り寄せた。タスクフォース、ナショナルガード、陸軍、海軍、空軍、海兵隊の戦略的な全米の医薬品備蓄・急送チームを稼働させた。

ニューヨーク市周辺の戦術的なロケーションに、大量の人員・材料・供給品・装置・自動車を受け入れ、それらを統合的に配分するためのオペレーション基地を設けた。

連邦政府、州、自治体、および公選役人の意思決定権者が詰めるリーダー室にそれらの人を招集することによって核爆発対応のためのユニークな指揮が可能となった。かれらは当初は電話会議で、次第にメガJFOで向かい合って協議をした。

ニューヨーク州バルハラのメガJFOを本部とするグレート・マシーンによって、統合された全国的な対応が容易となった。