我々はみんなブルースである
ブルースはたくさんのことを頑張ってやっている。ドローンや無線機のようなテクノロジーツールを扱うのが得意である。緊急車両を彼より上手に運転できる者はいない。しかし我々の準備に立ちふさがるのはその偏見である。あらゆる出会いや、あらゆる会話において、我々はその偏見を克服するだけでも2倍も働かなければならない。
今ではあなたは「このブルースとは一体何者なのだ」と自問しているかもしれない。
OEMにとっては理由をつけて人員や資源の投入をコミットしない幹部職員だった。災害訓練は時間の無駄であるとこぼす区長だった。最悪のシナリオにはならないと”知っていた“消防署長だった。

ブルースの偏見は人間のもろさの典型であり、我々の中にはみんな何がしかのブルースがいる。ブルースは、「引き返せ、溺れるな」というバンパーステッカーを付けたミニバンで、浸水した交差点へ突っ込むサッカーママである。煙感知器の電池を交換する手間を惜しんだウィリアムズバーグのヒップスターであり、ハリケーンが近づいているのにビーチフロントのコンドから避難しなかった南フロリダの高齢な市民である。ブルースの欠点について語ること、我々の中にもあるそれらを認識することが、終わることのない自己満足との闘いの第一歩である。次の重要なステップはそれらの偏見に立ち向かう心構えを持つことである。

例えば、災害専門家は込み入った議論が必須であると認識しなければならない。なぜならばブラックスワンは複雑な野獣だからである。アイデアなしでは問題解決は不可能であり、ブラックスワンが津波のようにもたらすさまざまな問題との対峙はアイデアなしでは望めないので、ストーリーだけではなくアイデアを持つ必要がある。見当違いの自信を「私は知らない」という態度に替えなければならない。我々が確実に知っているのは、ブラックスワンがいつ来るのか、そのインパクトはどのようなものかが分からないように、我々には分からないことがあまりに多いということだ。十分な準備というのはあり得ない、レジリエンスと能力を構築する努力をやめるわけにはいかないというのはそのためである。

予期しないことが起きても、そのたびに動転するのではなく、受け入れなければならない。今まで経験したことがないというのはブラックスワンのとっておきの手の内であり、我々はそれを歓迎しなければならない。確率について思案するのではなく、その結果に集中することができるように、我々の心のうちにある希望の煉瓦(れんが)壁を取り壊して、災害は来るということを認識する必要がある。

最後に、証拠がないからといって、ないことの証拠にはならない。船の監視台にいる見張り人が「鯨が潮を吹いているぞ!」と叫んでいないからといって、ブラックスワンが地平線上の我々の視界に入ってくることはないということではない。

(続く)

翻訳:杉野文俊
この連載について http://www.risktaisaku.com/articles/-/15300