「緑のダム」の歴史的考察~その2:明治期から今日まで~
森林の治水への有用性で議論分かれる

高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
2017/05/22
安心、それが最大の敵だ
高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
戦前の内務省土木局(現・国土交通省)を代表する河川技師のひとり、宮本武之輔(1892~1941)は「治水策の検討」の中で、洪水の際の森林の保水能力に疑問を呈している。宮本は森林の洪水調節作用に眩惑(げんわく)されてはならないと主張した。
宮本が治水論を展開していた1936年(昭和11年)頃、岡山県南部での農業用ため池渇水問題をきっかけとして、森林はため池の水量を維持するために有益か無益(または有害)かとの論争が森林学者間で再燃した。論争は激論となったが、平行線のままで決着をみなかった。「緑のダム」論争の「走り」とも言える学術的な闘いであった。
ここで戦後の治山・治水と「緑のダム」論争の主な動きを示したい。
上記「2001年11月:日本学術会議、農林水産大臣に『地球環境・人間生活に関わる農業及び森林の多面的な機能の評価について』を答申」は画期的な答申であり重要部分を引用する。
洪水対策として「緑のダム」効果に多くの期待はできない、との提言である。
参考文献:「洪水論」(高橋裕)、「緑のダム」(蔵治光一郎、保屋野初子編著)
(つづく)
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