驚異的な発達

図1に、5月8日から10日までの天気図を改めて示す。8日9時、黄海に見られる中心気圧1010ヘクトパスカルの低気圧は、9日9時には日本海西部へ進み、988ヘクトパスカルまで深まった。中心気圧の24時間降下量は22ヘクトパスカルで、急速な発達といえる。

しかし、それはまだ序の口であった。その12時間後の9日21時には、低気圧は北海道の西岸沖に達し、中心気圧970ヘクトパスカルの強大な低気圧となった。そして北海道を横断し、10日3時には北海道のオホーツク海側へ進み、中心気圧960ヘクトパスカルの猛烈な低気圧に成長したのである。10日9時には、低気圧の中心がエトロフ島付近にまで進み、中心気圧は952ヘクトパスカルまで下がった。

こうして、この低気圧は、9日9時から10日9時にかけて、24時間の中心気圧降下量が36ヘクトパスカルに達する驚異的な発達を見せた。北海道付近を進んだ時のスピードは時速およそ70キロメートルで、低気圧の一般的なスピードの倍の速さがあった。まさに、あっという間に北海道を駆け抜けてしまった。

未明の暴風雨警報

筆者の最初の職場は、網走地方気象台であった。そこで、このメイストームの時にも網走(当時は網走測候所)で勤務していたという大先輩の話を聞くことができた。1954年当時の予報技術は未熟であった。この低気圧がこれほど発達するとの予測は、事前にはなかった。経験したことのない異様な気圧の下がり方に尋常ならぬものを察知した札幌管区気象台の予報官から、真夜中に電信で緊急指令があったという。網走測候所で当直をしていたその大先輩は、受信した指令を構内宿舎にいる所長に伝えた。直ちに所長が現業室に駆け付け、網走地方に暴風雨警報を発表したのは、10日未明の1時55分であった。

筆者が気象大学校を卒業して網走に赴任した当時(1975年)、気象台の庁舎は木造で、屋根裏に倉庫があった。そこには、保存期限の過ぎた資料が捨てられずにたくさん残されていた。ある時筆者は、その中に1954年当時の警報簿があるのを見つけた。網走は災害の少ない地方で、警報が発表されるのは年に幾度もあるわけではない。所長自ら急いで作文したと思われるこの時の警報文の筆跡を見ていたら、当時の危機感が伝わってくる思いがした。