恵寿総合病院の本館

元日の能登半島地震で激震に襲われた恵寿総合病院(石川県七尾市、神野正博理事長)では、地震後も止まることなく、充実した医療を提供し続けた。10年をかけて整備してきた、徹底的なハードとソフト対策のおかげだった。正月明けの1月4日、例年と変わらず外来診療を開始。臨時の福祉避難所の設置や避難所と病院とを結ぶ送迎バスを運行させるなど、地域のためにも奔走した。

3つのポイント

❶徹底的なハード対策
・揺れ対策の免震構造、液状化対策の地盤改良、津波対策の地盤かさ上げ、避難用にヘリポートを設置。

❷医療提供に不可欠なライフラインの二重化
・被害を受けても水、電気、データを確保できる対策の実施。

❸災害時に必要な情報を、引き出せる工夫
・初動で確認すべき情報を整理したBCM冊子を作成し、辞書のように活用

震度6強の激震

本館は無事だったが、周囲の地盤が動いたために段差は発生した

能登半島地震で石川県七尾市にある恵寿総合病院は激震に襲われた。病床数426の同病院は本館と入院病棟など計4棟からなり、本館の目の前には七尾湾が開けている。

震度6強の揺れは強烈だった。病棟の壁はひび割れ、天井は落下。水道管は破裂し、医療機器は転倒。書類や備品などがフロアに散らばった。敷地内では地面のひび割れや段差ができ、液状化による土砂の噴出も見られた。周辺でも建物が倒壊し、道路では地割れが起きていた。

病棟の側で見られた液状化による噴砂と地割れ

しかし本館だけは例外だった。理事長の神野正博氏は「免震構造の本館では、何一つ倒れず、建物自体に被害は全くありませんでした」と話す。被害が集中した『3病棟』は1980年、『5病棟』は2000年に竣工した建物。神野氏は「これらの病棟はボイラーもダメージを受けて暖房がストップしていた。患者を寒い場所にそのままにできない。すぐに移動させる必要があった」と話す。

修復中の連絡通路の天井

そこから、医師や看護師らが総出で連絡通路を使って入院患者を本館に待避させた。建物間をつなぐ連絡通路は接合部分でダメージを受けていた。しかし、通路を渡しただけの構造ではなく、病棟から独立し、柱で支えているために通過を決断。地震を想定し、堅牢なつくりを選んでいたからだ。病棟間の移動に患者を1階まで下ろさずに済み、また寒い外気にさらす必要もなかった。

エレベーターが停止しているため、歩けない患者は担架を使って階段を上り下りして運んだ。とはいえ、連絡通路を使わない場合に比べて運び手の負担は軽減されていた。移動させた患者数は113人にも及んだが、20時には完遂させた。

年末年始で入院患者は少なめだったといはいえ、本館の病室に追加の113人を入れる余裕はなかっ。そこで、リハビリテーション室や内視鏡室、化学療法室などを仮設の病室として転用していった。

日付が変わった2日午前2時05分、本館で新たな命が誕生した。女児が生まれたのだ。病院での出産は珍しくない光景。しかし、能登半島地震から約10時間後のことだ。「出産には十分な水が必要。地震直後でも、当病院では井戸水が使えたからこそ、安全な出産にのぞめました」と神野氏は話す。

そして4日午前9時、恵寿総合病院では例年と同様に年明け最初の外来診察を開始した。