【北京時事】敗戦後に急速な復興を遂げ、先進国の仲間入りを果たした日本と、1949年に建国され、21世紀に世界第2位の経済大国へと躍進した中国。日本は中国と国交を正常化した72年以降、円借款や技術供与で中国の経済成長を後押しした。その後50年を経て日中の力関係は様変わり。今や両国企業は世界各地で激しく競合している。
 「中国経済がここまで大きくなるとは誰も思っていなかった」。90年代に遼寧省瀋陽に進出した愛知県の機械部品メーカー元幹部はこう語る。当時の中国は経済の急成長が始まっていたが、インフラ整備は進んでおらず、停電も頻発したと振り返った。
 だが、進出の決め手となった中国の人件費は経済成長とともに上昇。同社も2017年に工場をベトナムに移転した。中国に拠点を置く日系自動車メーカーなどへ今でも製品を売っているものの、近年は中国の部品メーカーの勢いに押されているという。
 帝国データバンクによると、中国に進出した日系企業数は24年に1万3034社と、ピークの12年から約1割減った。米中貿易摩擦の激化に伴うサプライチェーン(供給網)の分断や中国の成長鈍化が要因とされる。ただ、北京の日系自動車大手幹部は「言い訳にすぎない。日本企業は中国で勝てなくなっている」と強調する。
 中国で日本の存在感は低下傾向にある。国交正常化時に日本の3分の1にすぎなかった中国の国内総生産(GDP)は10年に日本を超え、24年には5倍近くまで膨らんだ。中国外務省は15年、対日関係を手掛ける「日本課」を廃止し、朝鮮半島やモンゴルを担当する部署と統合。経団連など主要経済団体は1975年からほぼ毎年1回、北京へ大型代表団を派遣しているが、08年に胡錦濤国家主席(当時)と会談したのを最後に、最高指導者と会えていない。
 「中国はもはや米国以外をそれほど重視していない」。北京に駐在する日系インフラ大手の幹部は、時の流れとともに薄れた日本の経済的な優位性を端的にこう表現した。 
〔写真説明〕中国の電気自動車(EV)生産ライン=4月22日、安徽省合肥

(ニュース提供元:時事通信社)