アイシン軽金属。奥に見えるのが富山湾

2024年1月1日に発生した能登半島地震で、震度5強の揺れに見舞われた自動車用アルミ部品メーカー・アイシン軽金属(富山県射水市)。同社は、大手自動車部品メーカーである「アイシングループ」の一員として、これまでグループ全体で培ってきた震災経験と教訓を災害対策に生かし、防災・事業継続の両面で体制強化を進めてきた。能登半島地震の被災を経て、現在、同社はどのような新たな取り組みを展開しているのか――。

アイシン軽金属の工場がある射水市の工場団地は、かつて富山県がアルミ産業のコンビナートとして整備を構想した地域である。富山県は水資源が豊富で水力発電所も多いため、古くからアルミ産業が盛んだった。1964年には新産業都市に指定され、同社は1971年にこの団地内で事業を開始。アルミ精錬会社が撤退したが、現在も同社をはじめアルミ関連企業が残っている。

同社は現在、自動車用アルミダイカスト部品とアルミ押出部品の開発・製造を行っており、トヨタ自動車向けをはじめとして他のメーカーにも採用されている。自動車産業全体に対する同社の供給責任は重い。

工場を襲った液状化被害

地震発生当時、工場内に従業員は不在だったが、後に監視カメラで確認したところ、天井や床が数分にわたって激しく揺れていたことがわかった。

工場には、大きく分けて、北側の「押出工場」、加工組み立てを行う「加工工場」、南側の「ダイカスト工場」の3つの工場棟と、厚生棟などの事務施設がある。このうち、富山湾に近い押出工場と加工工場の一角にある事務所、厚生棟を中心に液状化による大きな被害が発生した。もともと干潟を埋め立てて整備された土地であり、地盤が軟弱であった。

押出工場周辺では、道路の至る所から土砂が噴き出し、震災の2か月前に新設されたばかりのクーリングタワーは地盤沈下で基礎が大きく傾いた。空調の室外機も大きく傾き、道路や水路では最大45センチの隆起が確認された。押出工場内でも床が沈下し、一部の生産ラインに影響が出た。

加工工場内の事務所や厚生棟も深刻な被害を受けた。建物の床や壁、天井に隙間が生じ、構造全体が歪み、「立っていると気持ち悪くなるほどの状態だった」と経営企画部長の福武直人氏は振り返る。

写真:雨水側溝は最大45センチ隆起した(写真提供:アイシン軽金属)
液状化でいたるところから土砂が噴出(写真提供:アイシン軽金属)