株式会社白山 石川工場

2024年1月1日に発生した能登半島地震で震度7を観測した石川県志賀町にある株式会社白山の石川工場は、深刻な被害を受けながらも、3カ月で完全復旧を実現した。迅速な対応を支えたのは、人を中心に据える「ヒト・セントリック経営」と、現場に委ねられた判断力、そして、地元建設会社との信頼関係の積み重ねだった。同社は現在、埼玉に新たな工場を建設するなどBCPと経営効率化のさらなる一体化に取り組みはじめている。

同社は1947年、東京都港区三田で創業し、1948年に逓信省(現NTT)へ雷対策用の加入者保安器を納入し業績を伸ばした。しかし、光通信の台頭や携帯電話の普及により、かつての主力製品の需要は激減。NTTから技術継承を受け、起死回生策として、新たに開発したのが、現在の主力製品である、光ファイバーを高精度で接続する「MTフェルール」だった。同部品は今やデータセンター内の光通信を支える重要部材となり、AI需要も追い風となって、世界シェア2位を誇る主力製品として急成長を遂げている。

そんな同社の経営は「ヒト・セントリック(人間中心)」を核としている。社員一人ひとりの生活や家族、コミュニティを大切にし、平時・非常時を問わず「人を守る」ことを起点に判断がなされる。能登半島地震が起きた2024年度は「絶対浮力」を社内スローガンとし、肩書きに依存しない個人の判断力・人間性を重視した育成に注力していた。

非被災者の迅速で冷静な対応

1月1日の地震で、志賀町では震度7を観測。石川工場は停電・断水に見舞われ、天井の崩落や設備のズレなどの被害が発生した。AIの普及に伴うデータセンター需要の急増を予測し、それに対応しようとMTフェルールの増産を検討していた最中だった。正月のため工場は無人で、安否確認ツールで従業員全員の無事は確認できたが、一部の従業員宅は損傷したという報告があった。「ほとんどの社員が被災しました。私の実家が能登の先にありまして、自分も被災者でした」と石川工場工場長の濱本和彦氏は振り返る。

ただし、主要設備が倒れたり、壊れたりするなどの大きな被害はなかった。石川工場がある能登中核工業団地は、比較的に地盤の固い丘陵地帯に整備されている。「天井の落下や仕掛品の転倒はありましたが、成形機は倒れませんでした。それが早期復旧を果たせた大きな要因です」と濱本氏は説明する。

多くの社員が動けない状況にある中、発災翌日の1月2日には、工場近くに住む総務担当者が、自主的に工場の状況を確認し細かく報告してくれた。

関東在住で単身赴任中だった副工場長も、復旧に向けいち早く行動を開始。年始の帰省で埼玉にいた副工場長は、工場の被害状況を把握すると、即座に支援物資を積んで車で現地に入り、復旧に着手した。「副工場長は被災していないため、私達とはちがう冷静な立場で復旧の指揮をとってくれたことが大きかった」と濱本氏は強調する。

副工場長は、開発拠点でもある埼玉・飯能市の事業所での代替生産を提案した。いくつかの部材や金型を移せば、同じ製品を関東でつくることが可能になる。生産能力は約8分の1と劣るものの1月5日には、代替生産の体制を構築した。

この経験を経て、同社は2025年6月に所沢工場を新設した。石川の3分の1の生産キャパシティを持ち、BCPの代替拠点機能と生産増量の両輪を担う。「所沢の新拠点は、副工場長が工場長として就任しています」と濱本氏は説明する。

天井が崩落した事務所(写真提供:株式会社白山)

 

設備が大きく移動(写真提供:株式会社白山)

 

東日本大震災の被災企業からの応援

被災した石川工場でも、1月12日時点で一部運送会社による石川工場での集荷・配送が再開され、製品出荷が可能となった。1月15日には建物被害のない部屋(事務棟1階)で仕掛品をもとに生産を開始した。

震災後、工場周辺地域では断水状態が続き通常の生産活動が制限された。トイレ問題も深刻で、仮設トイレの設置や、午前・午後3時間ごとの交替勤務の導入によって、なんとか衛生環境を維持した。

そんな中、1月18日には東日本大震災を経験した取引先から1200リットルタンクの提供を受け、これにより、志賀町から水の供給を受けることが可能となった。生産と執務に必要な水が確保され、生産活動が徐々に拡大した。その後、2月9日に工場へ通水したことで生産活動が大きく前進した。2月13日には、主力であるMTフェルールの生産エリアの修繕、および製造設備の点検を終え通常稼働に近い状態での生産を再開し、3月29日には食堂など工場内すべてのエリアの修繕作業が完了した。

経営管理本部付顧問の今井朋人氏(左)と石川工場工場長の濱本和彦氏(右)

信頼で築いた復旧――紙に書けないBCPの真価

石川工場の迅速な復旧を支えたもう1つの理由が地元建設会社との連携だ。震災翌日、総務担当者が出社した際、その日のうちに、30年以上付き合いのある地元建設会社へ連絡を取り、1月5日には現地調査、10日には工事が始まった。5日にはゼネコン担当者が現地入りし、10日には修繕工事が始まったという。

こうした即応は、単なる契約関係ではなく、長年の信頼と対話の蓄積によって可能となった。経営管理本部付顧問の今井朋人氏は「これは紙に書けないBCPです。でも、本当に重要なことはこうした信頼関係。信頼しているからこそ、“うちが先にやります”って言ってくれる。平時にどう付き合っているかが、災害時にすべて露呈するのです」と語気を強める。

建設会社とは「工事の優先順位やスピード感も、言葉にせずとも通じていました」と濱本氏も振り返る。