「品質偽装」ならぬ「理念偽装」が企業経営の最大のリスクに(イメージ:写真AC)

経営のポリシーと現場のギャップ

前回、経営の上位方針やオープンにした各種ガイドラインと現場の活動にギャップが生じる要因について、主として現場レベルの長文読解能力の劣化を語った。今回は、それよりも上位層における要因に主眼を置いて語りたい。

この上位層というのは、企業によって異なるが、いわゆる管理職層や幹部層であり、時には監督職層かもしれない。この上位層に巣くう問題構造は、現場レベルに悪影響を及ぼすことは必然であり、現実的に最大の問題構造といっても言い過ぎではないだろう。

この問題構造は、実は古くから指摘されている。サラリーマン気質や事なかれ主義、減点主義と表現されるものである。そこに最近の傾向であるハラスメント忌避思考が圧力的に加わり、萎縮に拍車がかかっているのではないだろうか。

どの企業でも共通することだが、経営が発信するメッセージや指針の類は、現場に完全に浸透しているわけではない。もし完全に浸透しているなら、あえて発信する必要もない。

経営の目指す方向と現場の間には必ずギャップが存在し、それを埋めていくマネジメントが要る(イメージ:写真AC)

したがってメッセージや指針は目指すべき方向性として示される姿であり、大なり小なり現場とのギャップが存在する。そのギャップを埋めていくプロセスが各部門の部門方針に組み込まれ、KPIとして目標管理されながら、PDCAをまわすかたちでマネジメントされるのである。

実際には、ギャップを知っていながら見て見ぬふりをしてしまいがち(イメージ:写真AC)

しかし実際には、このギャップを埋めることを目的とせず、いや、ギャップを知っていながら見て見ぬ振りをして、現場が無理なく受け入れる範囲で、悪く表現すると言い訳できる範囲に限定して部門目標を設定してしまいがちだ。結果として、経営の目指す方向に向かうことはなくなってしまう。これでは全体最適どころか部分最適すら成立せず、組織として価値を生み出すことなく、極論すると存在自体がロスとなる危険性すらあるだろう。

極論過ぎるといわれるかもしれないが、冷静に俯瞰して見て、違うというなら論理的な説明を組み立ててみてほしい。その段階で、感情論の「でも」「そうはいっても」「ではどうすればよい』となってはいないだろうか。感情論に陥る時点で、極論ではないと断言できる。

では、なぜこのような構造に陥るのだろうか。簡単である。現場の活動とギャップが存在するということは、そのハードルを乗り越える際に、必ずハレーションが起きるからである。

誰も火中の栗を拾いたくない(イメージ:写真AC)

ギャップが大きければ大きいほど、ハレーションも大きくなる。このハレーションは減点主義では大きなマイナス要因になり得るため、成果を挙げているにもかかわらずマイナスになると考え、君子危うきに近寄らず、火中の栗を拾う人物が現れないのだ。