地球環境においては、気候変動や生物多様性の喪失など環境劣化が急速な勢いで進んでいる。グローバリゼーションによる経済発展の恩恵が等しく分配されていないことから国家間や各国内の格差につながり、さまざまな社会問題を引き起こしている。その結果、国家間の意見対立や国内政治におけるポピュリズムの台頭を生み国内分断や紛争を導く要因も拡大している。また、国際政治において大国の覇権争いが強まり、武力による一方的な国境変更や侵略戦争への発展など安全保障が脅かされている。また、関税引き上げや貿易戦争への発展など、経済安全保障上の不安も高まっている。このような環境の下で、従来の共通ルールが無視され、自国の利益が追求されるなど、これまでの国際秩序が崩れつつある。このような状況変化の中で、企業は変化への対応が重要な経営課題となっている。
経営環境の変化と意思決定の転換の必要
将来は誰にも正確に予測できない。しかし、そのようなランダムな世界の中に何らかの法則性を見出すことができるなら、不確かな将来に対して一定の安心感をもって企業価値創造に邁進できる。そこで、企業は、将来の不確実性が企業価値に与える変動(=リスク)を予測し、予め準備・対応することによる財務健全性を確保し、戦略的意思決定の合理性を追求できる環境を整備しようとしてきた。つまり、不確実性を確率論における変動として捉え、変動の特徴を統計値として導出し、その将来の変化に関する予測値として適切な対策を打つという「予測・管理」を志向してきた。
今日のリスク管理は、この手法によって経営の安定性(=事業の継続性)の確保に貢献してきたといえる。例えば、来月の売上が増えるか減るか、原材料価格が何%ほど変動する可能性がある、今年は巨大な台風が何回程度来襲する可能性があるなど、過去データや統計モデル、確率論などを活用して事業戦略を立てたり、事前にリスク処理策を講じたりして実務に応用してきた。
しかし、市場システム、気象システム、制度などの基本的な構造が技術革新、地政学的変化、気候変動、社会価値観の変化などによって大きく変わろうとしている環境下では、統計学を活用した蓋然性に基づく予測はできないこととなる。
経済学の意思決定論は、期待効用理論を前提にしている。これは、不確実性を確率空間の下で整理することを前提としている。ただ、確率空間を設定できない状況、すなわち、ステイト(状況)もオッズ(確率)も明確でない状況のことを、仕組みの見えない不確実性という意味で、「構造的不確実性 (Structural ignorance) 」と呼んでいる。
構造的不確実性の意味
構造的不確実性とは、単純に「将来の個別の事象が予測できない」という意味ではなく、物事を支配している構造そのものが変化し、過去の経験や既存のモデルでは将来を予測できなくなる状態を指す用語である。つまり、企業にとっては経営管理やリスク管理にとって必要となる不確実性のプロファイルが明らかとなっておらず、企業価値への影響に対する将来の合理的な予測ができないことを意味する。
このように、現代企業を取り巻く環境には、まるで企業活動におけるゲームのルール自体が変わるような状態(=構造的不確実性)が観察される。例えば、AIによる仕事の再定義*1)、脱炭素による産業構造の変化*2)、サプライチェーンのブロック化*3)など、従来の予測手法(過去の延長線上で未来を予測する手法)における精度を上げたとしても、拠って立つ構造自体が変化しているため的確な対応はできないこととなる。そこで、企業としては、環境変化の影響を判断する前にシステムの構造自体の変化について理解する必要が出てきた。つまり、システム内の関連要素の相互作用の構造を再確認する必要がある。
田坂広志は、複雑系の世界には、自己組織化(Self organization)のプロセスが存在するとして、個々の行動の結果は誰も定まっていない(未来は開放系)が、個の自発性が全体の秩序を生み出すという創発的な特性があると指摘する。その上で、今後の経営においても、組織デザインという形でトップダウン的に示して、これを実現するのではなく、企業組織の中の情報共有、意思決定、協働作業などの基本プロセスを変えることによって、組織の自己組織化のプロセスを促してゆくことの重要性を説いている*4)。
組織文化の変革による学習する組織能力の強化
このような環境において、企業組織の変革が必要で、特に企業文化の重要性について、田坂は次のとおり説明する。「社員の中にある「情報囲い込み」の文化を変えることなく、「情報共有」を進めることはできない。「個人のリスク回避」の文化を変えることなく「意思決定」を迅速化することはできない。「ボランティア」の文化を育むことなく「協働作業」を活性化させることはできないのである*5)」
この指摘踏まえて、企業として強化すべき施策について整理しておきたい。
構造的不確実性とは、企業にとって、処方箋が存在しない状況を意味する。したがって、将来を予測して、どのような処方箋が適用できるかを選択して、それに沿った対応をとれば概ねうまくいくといったような企業の中に蓄積された経験知に頼ることができない。まだ経験していない不確実な状況に対してどのように適応すべきかを一から考えてゆくという組織能力が問われることとなる。
適応力強化には、学習する組織の機能強化が必要である。将来の不確実な事態に対して組織の全体的視点から問題点を把握して組織として進むべき方向性や処方箋を創り出してゆく創発機能を活性化させる必要がある。
今後のサステナブル経営の展開においては、外的環境変化と、それに適応する能力の強化のため、組織内の思考転換、意思決定の変革、行動変容が必要である。企業活動に関係している社会システム、自然システムとの関係性が深まってゆくなかで、社会課題のビジネス化を推進することも期待されている。これらへの対応力を強化するためには、多様な能力を持った人材の確保・育成が不可欠となる。しかしながら、組織内に経験知が積みあがっていない領域であるためOJTでは成果が期待できない。人的資本を戦略投資と位置づけ、サステナブル経営を動かす実装インフラとして、組織構成員の能力・行動、組織の学習能力について戦略目標を設定し、適合する教育・訓練・スキルによって組織の適応力を高めてゆく必要がある。そのため、必要な能力を社外出向、産学官連携プロジェクトなどを通じて育成してゆくため、社会関係資本と密接に関連させながら推進してゆくことが重要である。
図表-1で示したように、サステナブル経営を取り巻く動態的環境変化によって不確実性は高まり、新たな事業の開拓力強化によって企業価値創造力の向上が求められている。持続的成長に向けた企業の基盤改革への取り組みが期待される。
*1)これまでは、AIにより、IT化が進むといった予測をしていたものが、AIにより、業務そのものの定義が変わる、必要な人材が変わる、競争優位の源泉が変わるといった構造変化の問題として考えてゆかなければならない。
*2) 気候変動による緩和策の推進や適応策の強化により、エネルギー政策が変わる、産業競争力が変わる、金融市場において企業の評価が変わる、災害が増えることにより保険取引が変わる、などといった構造変化が起きる可能性がある。
*3) かつての地政学的リスクでは、特定地域で紛争が起きることによるその拠点での事業への影響が懸念されたが、現在では、例えば、サプライチェーンの再編、エネルギー供給構造の変更、戦略的技術に対するブロック化などといった構造的変化が懸念される。
*4) 田坂広志『まず、世界観を変えよー複雑系のマネジメント』2010年、英治出版、P.58~60.
*5) 田坂広志、前掲書、P.62.
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