2018/12/17
安心、それが最大の敵だ
郷里の町長も歴任
久宜は、知事在任中一日も病欠せず早出晩退の勤務で部下に範を垂れた。多額の私費を投じて県政に尽くし、その結果2万円(今日の数千万円)の借金を負うに至った。栄転の機会は何回かあったが、彼はその都度断っている。家族全員を引き連れて鹿児島入りした彼は、鹿児島のために人生をかける決意であった。県民は彼を「勧業知事」「教育知事」として讃えた。「鹿児島県のことは冥土に電報せい」と遺言を残したほど同県を愛した。鹿児島市田之浦公園で開かれた知事送別会には3000人が集まった。謝辞のやり取りの間、感極まって泣き出す県民が少なくなかった。
没後の昭和17年(1942)11月、県議会堂前に知事加納久宜の頌徳碑が建てられた。除幕式には遺族が招かれている。碑文の中に「産業と教育の拓興に寄与する所絶大なり。常に責任を重じ言行一致、若(もし)公費足らざれば補ふに私費を以てせるもの又少なからず、所謂(いわゆる)民あるを知って身あるを知らず、国あるを知って家あるを知らざるもの、其(その)至誠誰れか感動せざるものあらんや」とある。鹿児島県の経済や教育の基盤を確立した久宜の功績は歴代知事中第一(「鹿児島大百科事典」)とされる。
◇
明治33年秋、久宜は鹿児島を去って東京府入新井(いりあらい)村大森(現東京・大森)の私邸に戻ると、農事改良の全国普及に向けた遊説や講演を行い信用組合を開設した。明治後期の「地方改良運動」の中心的命題2つに対応する農会法と産業組合法の改正、「全国農事会中央会」、「大日本産業組合中央会」の法制化や設立にエネルギーを注ぐ。農会法の成立と同じく明治33年に産業組合法が成立し、信用組合、販売組合、購買組合、生産組合の4種が定められた。(所得税、営業税は課税されない)。その後、明治39年(1906)の第一次改正で信用組合に他事業兼営が認められた。
彼は鹿児島知事時代から体育教育の振興を重視しており、入新井村時代にも日本体育会体操練習所(現日本体育大学)会長として、また荏原中学(現日体荏原高等学校)校長として洋式体育教育の普及とレベルアップに努めている。
◇
明治45年(1912)2月、久宜は郷里の一宮町民に懇願され町長に就任する。64歳。町長就任に先立ち、町是のない行政は羅針盤の無い船のようだとして「一の宮町是を定め置くべきの議」を当時の一宮町長に提出している。久宜の経験や見識が網羅された内容で、松林、桜並木、公園の整備、主要街道などへ街灯を設置し、旅館の誘致。病院、幼稚園、図書館の設置。販売組合、菜果組合をつくり、生産者と別荘住人の両者の便宜を図る。直売市場の開設。別荘住民のために池に放魚(釣り)、娯楽施設をつくる。品評会を継続的に開催し、売上金を教育基金に組み入れる等など。
ここで提示された地域の特性を活かした別荘地の整備、産業推進や地産地消の発想、農事の共同作業及び企業への直接販売といった具体策は、そのまま現代の地方振興策に適用できるような斬新さである。久宜はドイツ式耕地整理を実施し農地利用の基礎を築いた。同耕地整理は、田畑はもとより荒れ地を長方形に線引きしなおして開発し碁盤の目のように均整のとれた耕地にして再配分するという今日の土地改良の先駆けをなす手法であった。
加納町長のもとで、太平洋に面した一宮町は大変貌を遂げ、「東の大礒」として一時は100人を超す人の別荘地としても繁栄して行く。同町には明治30年(1897)4月房総鉄道(現JR外房線)が開通し上総一ノ宮駅と東京・本所とを5時間で結んだ。駅から一宮海岸まで2km余りである。海岸線から北は緑の松林と九十九里の弧を描いた砂丘が延々と続き、南はそれが太東(たいとう)岬で区切られて、南北とも雄大な景観を呈している。「一宮町史」は同町に別荘をかまえた各界名士83人の名前をあげており、その中には首相を務めた斎藤実(まこと)、平沼騏一郎、加藤友三郎らの名もみえる。一宮海岸は海水浴場としても知られていた。海水浴もかねてこの地を訪れた名士として、東郷平八郎、尾崎紅葉、東京帝国大学学生の芥川龍之介、同久米正雄、林芙美子らの名前をあげている。一宮海岸がにぎわったのは日中戦争が始まる昭和12年(1937)頃までであった。
慶応3年(1867)19歳で最後の藩主となり明治維新を迎えてから45年を経て、明治45年(1912)64歳となった加納は再び町長として最晩年の5年間を一宮町で過ごした。大正6年(1917)3月、69歳で町長を辞任した。同年一宮町の青年70人とともに鹿児島を再訪し歓迎を受けた。大正8年(1919)2月26日、療養先の温泉郷・別府で逝去した。享年71歳。遺言は「一にも公益事業、二にも公益事業、ただ公益事業に尽せ」であった。一宮町城山に久宜の墓と顕彰碑がある。
参考文献:「加納久宜集」(松尾れい子編)、「一宮町史」、拙書「国際人・加納久朗の生涯」
(つづく)
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