宅配大手のヤマト運輸は、地震発生から14日後の3月25日、岩手、宮城、福島の3県全域で宅配サービスを本格的に再開した。東日本大震災では、東北地方を中心に多くの営業所が被災し、うち、9店が津波により全壊した。こうした中、同社ではBCPの基本方針に従い、ヤマトグループ内の関連会社と協力しながら現地の宅配事業の早期復旧を果たした。

編集部注:「リスク対策.com」本誌2011年9月25日号(Vol.27)掲載の記事を、Web記事として再掲したものです(2017年3月10日)。役職などは当時のままです。

■事業継続の対策本部を分離

ヤマト運輸では、10年以上前から首都直下型地震など大規模災害を想定したBCPを策定し、連絡体制や復旧業務の優先順位などを規定してきた。東日本大震災で災害対応にあたった同社経営戦略部長の岡村正氏は、「社員の安否確認、被害の状況把握、荷物の保全、業務復旧という事業を継続するまでの大まかな流れは社内で共有できていた」と話す。 

しかし今回の震災では、第一段階の安否確認に予想以上に時間を要した。同社の安否確認は、秋田県のコールセンターを緊急連絡先に定め、社員は震災後すぐに連絡するようになっていたが、停電により通話ができなくなっていた。震災から3日目には、東北地方6県の全従業員(約1万人)のうち、9割以上の安否の確認がとれたが、津波の被害に遭い、避難所に待機していた人も多く、最終的な安否が確認できたのは地震発生から8日後となった。

震災から4日目の3月15日には、被災地域への対応や復旧を担う地震対策本部とは別に、事業継続に向けて新たに事業継続対策本部を設置。当初のBCPにはなかったが、被害が広範囲に及んだことから、従来の地震対策本部とは別立てで動くべき、とトップが臨機応変に判断した。事業継続の対策本部は、主に計画停電や燃料不足の問題など事業を妨げる問題を担当した。被災状況の確認が取れ次第、3月18日から被害の少ない青森、秋田、山形の日本海側から徐々に事業を再開し、21日には、岩手、宮城、福島の123店舗でも、営業所での荷受と引き渡しの対応を再開した。

■ガソリン不足、乗合などの工夫

事業を復旧するにあたり、業務を妨げる大きなリスクとなったのが燃料の枯渇だ。宅配サービスを行うヤマトにとっては、集配車両の燃料不足は致命的な問題となる。ヤマトでは、関連会社でトラックやバスの点検管理を行うヤマトオートワークスから集配車両の燃料となる軽油を調達。同社の各工場に設置されているタンクには、1万リッター以上の燃料が蓄えられ、地域ごとに供給量のバランスをとりながら燃料不足を克服した。

被災地の社員の通勤手段も確保する必要があった。

通勤の足となる車のガソリンが不足したためだ。対策として可能な限り公共交通機関を利用してもらったほか、社員同士が自発的に近隣の社員と乗り合わせで通勤することなどで対応した。関東地方では、計画停電への対応にも迫られた。電力が停止することで物流ターミナルであるベースの業務がストップしないように、近くのベースにいつでも業務を分配できる体制を整えた。2009年に策定した新型インフルエンザ対策のBCPで、社員の多くが欠勤しても、配達に支障が起きないように、あらかじめ近隣のベースで荷物の仕分けができるような仕組みを構築していたことが奏功した。

■救援物資にプロのノウハウ

震災時には、宅配事業の需要が一気に高まる。被災地のみならず、社会全体を復旧するために救援物資の集配は不可欠だからだ。ヤマトでは、従来の組織と救援物資輸送の組織を分けることで、被災地の事業復旧のみならず、社会全体の復旧業務にも力を注いだ。3月23日には、自衛隊や地方自治体と連携し被災地域の復旧活動に従事する「救援物資輸送協力隊」を組織することで、食料や生活用品などの救援物資の仕分け作業や避難所への輸送を助けた。

「通常、災害が発生した際、救援物資の管理は地方自治体が担当します。しかし、ロジスティクスのノウハウがないため、うまく物資が回らないことが多い。今回の震災でも、全国から届けられる大量の救援物資をさばききれず、避難所まで届かないといった問題がいくつも生じました」(経営戦略部長の岡村氏)。

救援物資輸送協力隊は3月23日に、岩手、宮城、福島の3県を対象に、2トントラック200台と500人規模での支援体制を構築した。

「どこに何の物資があるのか、1つ1つパソコンに入力し、その置き場所やレイアウトまで決めて、必要なものを直ぐに出せるようなスムーズな物流体制の後押しをしました」(岡村氏)。

■地域雇用にも貢献

被災から1カ月が過ぎた頃には、仕事を求める被災者に対しては、救援物資の管理を手伝ってもらうなど現地の雇用対策にも貢献した。救援物資輸送協力隊の活動は、8月末現在、約4000台の車両と約1万3000人以上の人員が送り込まれたという。想定外規模の災害となった中で、事業継続と社会的な復興支援を両立した今回の対応について、岡村氏は「1つは、BCPによって、何をすべきか流れがわかっていたこと。もう1つは、創業理念や企業の社会的責任について全社員が共有していたことで乗り切れたのだと思います」と話す。

(了)