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全米―そして世界から、一点に収束された関心は災害対応であった。

フランスの新聞ル・モンドは、「今日9月12日は、われわれみんなアメリカ人だ」と伝えた。9/11の衝撃は、ほぼ誰にでもどこにでも影響を与えたと思われ、溢れ出る連帯と支援を引き出した。何百人、いや何千人もの人たちが連帯を示し、彼らができるどんな方法でも手助けできるようにとニューヨークに押し掛けてきた。

EOC自体も、大統領、首相、映画俳優、スポーツ有名人、ビジネスリーダーそして技術専門家を引き付ける磁石となった。そして同時に、この部門の代表者たちはこのクライシスがもたらす波のように押し寄せる多くの課題に苦闘し、感情的な地下室に落ち込んでいた。

この部門の代表者たちは山積みの問題に取り組んでいるので、政治家や映画俳優には何の興味も持たなかったが、ビジネスリーダーや技術専門家には助けたいとの熱烈な願望と、彼らが必要としたリソースを持っていた。早い段階に、あっという間に14時間が過ぎたときに、OEMは市の調達手順に従わないことがあった。彼らが必要としたものは、ただ頼めば良かった。そのように彼らは頼んだ。

彼らは、映画撮影セットで雨を降らせる特殊効果の専門家に埃を抑えることを、地下採鉱の専門家に地中深くの洞窟空間での消火活動について、世界最大の建設会社の安全専門家には労働者を救助するための健康と安全計画の作成について助けを求めた。

依頼ができたのはOEMだけではなく、問題を解決するため、または必要を満たすために、グレートマシンの誰にでも権限が与えられていた。9月12日の朝、OEMにニューヨーク市保健部の代表者が任命された。多くの課題の中に、救助作業者が手を洗うためのより良い方法を見つけることがあった。1日14時間勤務の日が幾日か過ぎて、私はやっとインターネット検索がうまくできた。ポリー・ジョン・エンタプライズという会社を見つけ、そのウェブサイトに書かれた番号に電話した。何回か転送された後、会社のオーナーのジョージ・ヒスクと話していた。彼に私が誰であるかを伝え、助けを求めた。私は「手洗台が必要だ」と言った。「いいでしょう。手配しましょう。何台必要ですか」と彼は尋ねた。

ポリー・ジョン・エンタプライズは、シカゴの南部から2マイルのミシガン湖南岸にあるインディアナ州ウィッティングの労働者階級の町にある。金曜日の午後4時だった。彼らは工場を閉めようとしていた。誰もがビーチやフットボール競技場で美しい秋の週末を楽しみにしていた。ヒスクは工場に歩いて入り、みんなを集めて話をした。「何か質問があるか」と彼は尋ねた。ただ一つの質問があった。「彼らはいくつ必要なのか」

工場を閉めないで、また、家族の元に帰らずにフットボールゲームやビーチピクニックに行かずに、ポリー・ジョンの社員は残った。そして、彼らは週末ずっと工場を稼働させた。月曜日の朝、インディアナ州のナンバープレートをつけた3台トラクタートレーラーが ロウアー・マンハッタンに到着した。彼らはその一日通して働き、せっけん、ペーパータオル、30ガロン(114リットル)の水槽を取り付けた100台の持ち運びできる手洗台を、後にグランドゼロと呼ばれる16エーカー(6万5000平方メートル)の周辺に設置した。ヒクスは決して私にクレジットカード番号でいくらと求めなかった。

こういうのが 頼む力だ。

その後10カ月の間、全米および世界から数十もの人たちと会社が助けてくれた。OEMは、すべての連絡先と電話番号とe-mailアドレスをその回転式住所録に保存した。