倒壊家屋から人を救出

明るくなってから、最初にお会いした方の家まで行くことができたのですが、その方が「もう母のことはあきらめる」とおっしゃって、これが最後と倒壊した家
に向かって声をかけたら、反応があったんです。倒壊した家の中に足が見えて、なんとか二人で引っ張り出すことができました。その後、お母さんはヘリで救出
されました。

そのうち、救急隊員の方も来られて「もうここ(研究センター)は危ないから下りてくれ」と言われ、15時過ぎには山を下りました。その日は南阿蘇村で避難所になっていた長陽体育館に泊まりました。避難所の中は大変なことになっていました。特に大変だと思ったのが、ペットを飼っている人です。ペット同士で喧嘩をすることもあるし、避難所にペットを入れるわけにはいかない。そのため屋外や廊下でペットと一緒に寝ている人もいました。

観測の再開に向け再びセンターへ

この地震が火山活動にどう影響を及ぼすかを一刻も早く調べる必要があったため、横尾さんに連絡をして、翌日、再度、研究センターに集まることを決めました。

16日の昼の時点で、研究センターでは阿蘇山の観測データが受けられないことがわかっていたので、大分県別府の地球熱学研究施設なら受けられるはずだと思って連絡を取りました。別府でも震度6弱を観測したということを全く知らなかったのですけれど、建物は大丈夫で電気も電話も使えるということで、データを受ける準備をしてもらうとともに、メールサーバの切り替えを別府の技術専門員の馬渡秀夫さんに頼みました。

17日の朝には、すぐに研究センターに戻り、助教の宇津木充さんと横尾さんと合流し、前日にできなかった観測点のメンテを行いました。その後、大津の自宅のマンションに戻りました。断水はしていましたが、電気は使えていました。余談ですが、財布が自室に閉じ込められ、取り出すことができませんでしたが、近くのコンビニで携帯電話の電子マネーが使えたので助かりました。ただし、翌日阿蘇に戻ったら、通信網がやられていて、電子マネーは使えませんでした。

地震による噴火への影響

阿蘇山は、16日に小規模噴火をしていますが、私が見た限り有色の噴煙を出している程度で、おそらく気象庁の定義では噴火とせざるをえない規模の小さい現象だということがわかりました。熊本地震前の3月ぐらいから噴気の活動は活発になってきていたので、地震による噴火ではないと考えられます。

19日には山に登り、観測点や火口の様子を確認し、計画していた阿蘇から別府にデータを転送する作業を行いました。停電していたのでいくつかの観測点は駄目でしたが、一番火口に近い観測点はバッテリーとソーラーパネルでの運用だったので、地震後もずっと動いていて、設定を変更して別府にデータを送り出すようにしました。

タスクフォースによる調査活動へ

火山研が被災してしまったため、20日には代替の研究施設として事務所を借り、21日から即入居をしました。机を借りてきたり、ブルーシートを敷いたり、ネット回線をひいたり、少しずつ住環境を整えていったのですが、作業を行うには狭すぎ、7月から別のスペースも借りました。その後も活動を広げるに伴い事務所が手狭になり、8月からは阿蘇市の坂梨小学校(その年の3月に廃校になったばかり)の校舎を1棟丸ごと借りて仮研究棟と利用すべく、改修工事を行う予定です。現在では京都大学防災研究所の先生方、研究センターの教員、さらに京大理学部の先生方や事務部の方も入ってタスクフォースをつくり、研究センターの地盤調査などを進めています。


この記事は、下記のインタビューをもとにまとめたものです。

日時:2016年9月13日(火)
場所:阿蘇市立役犬原小学校
インタビュアー:田村 圭子 氏(新潟大学危機管理室教授)
木村 玲欧 氏(兵庫県立大学環境人間学部教授准教授)

(了)