ヨシオがまず提案したのは火災対応でした。なぜでしょう?(photo AC)


■火災対応はBCPのイロハのイ

BCP策定会議の第1回目と2回目で議論してきた避難計画や安否確認、帰宅困難者対応といったものは、特定の災害に対してというよりは、何が起ころうともその必要があれば実行に移すという性格のものでした。しかし、その一方で災害の種類が異なれば、その予防の仕方や対処方法がまるで異なることも確かです。台風には台風に合わせた対処の仕方、火災には火災、地震には地震なりの対応方法があるわけです。

会議の第3回目では、まさにこうした災害の種類に応じた対応方法について議論しようと言うのです。社長からは「首都直下地震」を想定したBCPを作ってほしいとの意向が示されており、会議の参加者全員もこのことを知っています。ところが今回の会議でヨシオが真っ先に示したのは、「火災」を想定したBCPでした。当然のことながら、地震を想定するはずがなぜ火災なのか。まずこのことを会議メンバーに説明する必要があります。ヨシオはあらかじめ用意していた文面を手に説明を始めました。

「当社の愛知工場でもほぼ同じタイミングでBCPを策定し始めています。副工場長の話では、工場のBCPは火災対応手順をしっかり作り込んだ後に地震対応に着手すると聞いています。これに足並みをそろえたいというのが理由の一つです。しかしそれだけではありません。ここは本社ビルですから、工場ほどには火災のリスクを心配する必要はないかもしれません。でも、首都直下地震であれ相模湾沖地震であれ、大地震が起これば火災の危険がまったくないとは言えない。機密性の高い室内や廊下で煙に巻かれたらイチコロですよ。おまけに、過去の火災予防訓練の記録を見ると、参加率が著しくよろしくない。つまりこれは、本社従業員の大半が消火器の設置場所も使い方も、安全な避難方法もよく知らないということです。火災というローカルな災害一つ対処できないなら、想定外だらけの大地震にはとても太刀打ちできないだろう。これが火災リスクを想定する根本的な理由です」。

■ホテルニュージャパンが物語る火災の教訓

さっそく会議が始まりました。「皆さんは"自分の会社で火災なんてあり得ない"と思い込んでいるのではないでしょうか…」。このように話を切り出して、実際に起こった事例を引き合いに出して火災対応の重要性を強調しました。

「事業所の火災、例えば倉庫火災などは、消防白書によると毎年平均500件以上起こっているそうです。倉庫は広い割に人が少ないので防火に対する規制も意識も甘くなりがちでしょう。さて、ビル火災でとくに注目したいのは、かなり前に起こったホテルニュージャパンの火災事例です。死者33名、直接の原因は客室寝たばこと言われています。でもこれだけでは何の解決にもなりません。

根本的な原因は、社長の徹底的な経費削減方針だったのです。そして多数のお客様の安全を守る上で最も手をつけてはならない部分、つまり防火対策のコスト削減を命じたらしいのです。スプリンクラーや防火扉の設置、不燃材による内装施工などを怠ったわけです。おまけに消防の査察や点検を拒否、従業員の教育や訓練も皆無だったそうです。火災によって多くの人が命を落とすことになる要因がすべてそろっていたと言っても過言ではありません。怖いことですよ」。

「ここからわれわれは、一つの教訓を得ることができます。火災を予防しようとする意識が希薄だと、その隙をついていつでも火災は発生し得るということです。仮に紙に書かれた立派な防災規定があったとしても、それを守ろう、実践に生かそうという意識がなければ、何も対策は進まないし、とっさに身を守る行動に移ることもできないでしょう」。 

■火災予防は基本的な防災項目の点検でOK

過去の火災の教訓ほど説得に有効なものはありません。まわりの会議メンバーの面々も、多少は襟を正し、積極的に議論に参加するようになりました。会議の前半で決まったのは、本社を火災から守るための予防策として次の3つの項目を実践することでした。

①火気のある場所や業務の性質の特定
コンセントにほこりがたまっている、配線がむき出しになっている、絶縁体の劣化、静電気が発生しやすい、などもあります。屋外では人通りに近い場所での放火のリスクもあります。煙草の不始末や給湯室のコンロの火の消し忘れなど、ヒューマンエラーで起こることも。こうした場所や業務の性質を特定し、日頃からその場所を受け持つ業務担当者などに防火管理を徹底してもらう必要があります。

②消火設備の点検
本社は広く、部屋割りのレイアウトは複雑です。どこに消火器や消火栓、火災報知機、スプリンクラー、防火シャッターがあるのか、それらが正常に使えるのか、不具合はないかなどを定期的に点検することが重要です。

③避難経路・避難集合場所の確認
避難経路・避難集合場所については「避難計画」で決めたことなので、それを見ながら再確認するだけで済みました。避難の際にとくに留意すべき点は、避難ルート上にはモノを置かないということ。廃棄処分するOA機器とか椅子とかテーブルとか、あるいは古い文書類が入った段ボールなどが通路のあちこちをふさいでいたりすれば、避難が遅れたりケガをする原因となります。

■「察知(発見)」「伝達」「対処」で初動を最適化せよ

休憩を挟んで会議の後半では「火災が発生した時の対処手順」を決めました。これも3つに集約することができました。

①火災の発見
火災の第一発見者はただちに周囲に火災の発生を呼びかけ、火災報知器等のボタンを押す。消火器などで初期消火を試みますが、火の勢いが強いときはただちに避難します。

②関係者への通報
これは火災の第一発見者あるいはその報告を受けた総務担当者などが行うものです。ただちに119番通報と館内放送やサイレンを通じてすべての従業員に緊急避難を呼びかけます。

③避難の手順
緊急避難が呼びかけられたら、避難誘導係(すでに決まっている場合)はただちに従業員を避難誘導しなければなりません。なお、各自それぞれ安全に避難してもらうためには、通ってよいルートと禁止ルート(例えば非常階段を使用し、エレベータは使用しないなど)、集合場所などを日頃からすべての従業員に周知しておくことが肝要です。避難集合場所では点呼をとって人数と逃げ遅れた人、負傷した人の有無を確認し、上司に報告することなども規定しておきます。


最後にもう一つ肝心なことがあります。いくら紙の上で立派な手順をこしらえても、実際に頭と手足を動かしてそれを実践しなければ意味がありません。ヨシオは従業員の初期消火や避難の手順については、きちんと訓練をする必要がありそうだなと実感しました。

(続く)