今回取材に応じてくれた、新日本プロレスの棚橋選手はこう振り返ります。 

” プロレスという競技は、常に危険と隣りあわせなので、我々選手はいつも最悪の事態を想定しています。
迅速に対応できたのは、試合中の気が張った精神状態だったため、冷静にいれたことも起因していると思いますが、さすがに試合中に地震が起きたのは初めてだったので、初動では自分自身に落ち着こうと言い聞かせました。
仙台は震災を経験しているので、ある程度観客に免疫はあったと思いますが、とにかくお客さんには残念な気持ちのまま帰路について欲しくありませんでした。”

リスクコミュニケーションの観点から、今回運営側の決断も明快で適切な対応でした。 大きな揺れから約25分後、以下の3点が周知された上で試合再開のアナウンスがされました。 

・会場の安全確認がとれたこと
・次に大きな揺れが確認された場合は、大会を中止すること
・会場隣の広場が、避難場所となっていること

新日本プロレスでは、事前に会場の防災マニュアルをもとに「大会運営マニュアル」を作成しており、非常時における初期対応や避難場所から選手、観客の誘導にあたるスタッフ配置まで決めていました。当日は、現場に居合わせた地元テレビ局と連携をとり情報収集ができたこともあり、迅速に試合再開に舵を切れました。

こうして選手らと、運営側の適切な対応により無事大会は終了することができたのでした。

棚橋選手は1999年に新日本プロレスに入門。2012年にブシロードが新たなオーナーになるまで、約10年間も集客に苦しい時期を経験しています。

“新日本プロレスでは、リングの中は選手、リングの外は運営スタッフと役割分担が明確です。会社は選手にリスペクトを持って接してくれますし、試合に集中できるように日頃から体制を整えてくれています。
選手も営業活動などしっかり担ってくれる会社側に感謝の気持ちがあり、お互いに良い関係が構築できています。私たち選手が咄嗟にファンサービスを行えたのは、運営側がしっかり対応してくれるという安心感も影響していると思います。今回のようなきちんとした対応一つ一つが、私たちが大切にしたい顧客との信頼につながっていくと思います。”