デジタルツールも、社会の発展の道具として正しく使いこなしていくことが重要(イメージ:写真AC)

システムを道具として使いこなす

前回、マイナンバーカードのトラブルに関して述べた。それは、開発や運用の杜撰さもさることながら、適切な反省にもとづく改善、進化につながる動きが感じられないからだ。

正確にいうと、委託を受けている民間企業で改善の動きはあるだろう。それは説明責任を果たすかたち、それも社会一般が理解できるかたちで行われなければならないが、極めて難しい構造が横たわる。あらぬ疑いをかけられ、その説明に必要以上の労力を要しながら、いっさい理解を得られない感情的な批判攻撃にさらされると、建設的な議論と改善は封じられるだろう。

パソコンも普及とともに使いこなせるように(イメージ:写真AC)

システム化の浸透は、一昔前は年配層の抵抗を受けながらも、1人1台のパソコンを使ったメール・コミュニケーション、昨今のスマートフォンなど、確実に進展してきた。多くの企業が社員にIDを付与し、事務所への入退場や、パソコンのアクセス認証などに利活用し、セキュリティ性を高めている。

巷の決済も、多くの人はクレジットカードを複数枚所有し、あたり前のようにキャッシュレスで買い物を行い、最近ではスマホを使った少額決済も普及してきている。確かに今現在でもスマホを所有せず、キャッシュレス決済は使わない現金派も存在するだろう。それでも世の中の動きは止まらないし、時間とともに確実に普及する。

ところが、コロナ禍で明らかになったが、役所ではいまだにFAXで情報伝達が行われ、ワクチン接種登録のQRの読み込みも覚束ない様子であった。

道具を使いこなして進化してきた人類(イメージ:写真AC)

人類は他の動物と違い、火を道具として使うことで進化した。使い方を誤ると火傷するが、適切な使い方をすればよいだけである。人類が生み出したさまざまな発明も同様だ。危険性をわかったうえで、そのリスクを最小化し、利便性を最大化することで発展できる。

システムやそれを使うツールは、道具である。従って、感情的に忌避するのではなく、適切な使い方を追求すべきなのは至極当然である。

決済システムが普及できたのは、その基盤としてセキュリティ性の高いシステム開発・運用があったからだ。もちろんトラブルがまったくなかったわけではなく、さまざまな改善が加えられ、今の姿がある。そして、これからも改善は進められるだろう。

マイナンバーも同様のはずである。縦割り行政の効率化、行政サービスの利便性向上を、セキュリティ性を高めた状態で実現させるものなのだから、反対する意味が理解できない。

システムが道具である以上、リスクがあれば改善策を提案すべきだが、本質を理解しようとしない感情論では、改善どころかタブー視され、議論封殺にしか向かわない。反対するなら建設的な論理性が必要なのだ。政治家やマスコミに必要なのはこの姿勢であろう。嘉悦大学教授の高橋洋一氏がよく使う「ド文系」という表現が問題の中核かもしれない。

最先端のテクノロジーを理解し、その長短に踏み込んで、あるべき姿を描くためには理系的論理思考が必要不可欠である。すなわち、この種の意思決定には理系的思考力が求められるのだが、それが社会として不足していると感じられてならない。