被害者遺族の勇気ある情報発信が、社会を動かしたのかもしれない(写真:Adobe stock)

辺野古沖転覆事件が発生してはや3カ月が経とうとしている。この期間、事件としての大きな動きはなく、メディアもほぼ取り上げずに、いわゆる報道しない自由を発揮し続けていた。だが、文科省が、現地調査を行った結果について見解を公表した途端に、メディアは一斉に文科省に対して批判的姿勢を報じ始めた。

メディアの批判は「教育現場の萎縮を生む」「踏み込み過ぎ」「平和教育を止めてはならない」といった論調が多いと感じている。しかし、文科省の見解の文書を読んでみると、少なくとも小学校高学年レベルの長文読解の学力さえあれば、批判は全く筋違いで、論点ずらしも甚だしという事に気付くだろう。批判の内容は、極めて偏った結論ありきのポジショントークにしか、私には聞こえない。

公開された文科省の見解は、たかだか20ページの文書であって、メディア各社や記者が、この文書を読んでいないはずはないと信じたい。まさか、基礎的な読解力がないとも思い難く、批判は、理解に苦しむ以外にないのだ。

もともと、この文書は公開されていなかったが、被害者遺族の要請もあり公開に至ったと認識している。お役所の文書としてはかなり分かり易く、簡潔に事実関係を丹念に記述しているもので、誤読はしようがないものである。

文書の内容を整理すると

①危険性の高い行為に対して適切な安全確保を行っていない
②選択コースに対する十分な説明が生徒・保護者になされていない
③事前・事後の学習で様々な見解を充分に提示していたとはいえない
④違法行為をあえて実施しているとの説明もあり、活動への参加も促している
⑤生徒自身が恐怖を感じたという記録も残っている

 

この中で①②③は重要な教育現場の問題であるが、私としては④の「違法行為を違法行為と知って日常的に実行している」組織・団体との関係を持つ事自体が、その時点でコンプライアンス上の問題だと考える。そこにどんな崇高な理由があろうとも違法行為は違法であり、許されるべきものではないのだからだ。「革命無罪」「造反有理」と同義の思考を隠さずに、生徒の前で堂々と語ることに問題意識を持てない様では教育現場として不適切だと断言して良いだけでなく、一般ビジネス環境でも決して許されないコンプライアンス遵守違反に当たるのである。

そして更に問題は、⑤も含めてだが、④の記録など、この種の不都合な記録が抹消されていないことにある。

事件は3月16日に起き、文科省が調査に踏み込んだのは4月24日と1か月以上経過している。おかしな言い方だが、不都合な文書・記録類は処分され隠蔽されていてもおかしくないのだが、そうなっていないという事は、その存在がまずいという認識すらない証だろう。