~企業や社会の危機管理の観点から~

日本安全保障・危機管理学会研究員
清和大学法学部非常勤講師
岐阜女子大学南アジア研究センターリサーチフェロー
和田 大樹

今月下旬からロンドンでオリンピックが開催される。言うまでもなくオリンピックは世界的なスポーツイベントで

あり、世界中から観光客が英国入りすることが予想される。ホスト国にとってもそれは国の威信をかけた一大行事であり、それを安全のうちに終わらせることは国家の外交的責任でもある。英国もそれは十分熟知しており、“オリンピック開催における最大の懸念事項はテロで、それは依然として深刻な脅威である”との認識のもと、警察官の増員や公共交通機関でテロが発生したと想定しての避難訓練、テロ対策における軍の積極的な協力など厳重な警備体制で臨んでいる。ではオリンピックを迎えるにあたり、現在の英国のテロ情勢とはどのようになっているのであろうか。


①英国で懸念されるテロの類型
1.アルカイダを中心とする「グローバルジハード」ネットワーク
現在アルカイダを中心とする「グローバルジハード」のネットワークは、パキスタン・トライバルエリアに潜むコア・アルカイダ(ビンラディンやザワヒリ等による)の組織的弱体化が観られる半面、南アジア(タリバンやラシュカレタイバ)や中東(アラビア半島のアルカイダやイラクのアルカイダ)、アフリカ(アルシャバブやマグレブ諸国のアルカイダ)などに拡散するイスラム過激派ネットワークの台頭とその活発化、情報・通信のグローバル化の恩恵を受けたホームグローンジハーディスト(一匹狼型)の増加に依存するようになっている。そして近年欧米内で最も懸念されているのが、欧米に住み過激思想を持つ個人やグループ、もしくはインターネットの過激派サイトの影響により自らジハーディストへ変貌する個々人の存在である。

去年米国ランド研究所から発行された論文「Radicalization, Linkages, and Diversity –Current Trends in Terrorism in Europe」によれば、近年欧州で発生する未遂を含めたテロ(2006年1月から2010年12月)は33件報告されており、そのうち13件が英国で発生しており(ドイツ2件、イタリア3件、フランス2件、スペイン2件、デンマーク6件、ノルウェー2件、スウェーデン2件、オランダ1件)、これは大陸ヨーロッパ諸国と比較しても非常に多い。英国内で発生したテロ事件は、ロンドンヒースロー空港やグラスゴー空港など旅客機を狙ったと見られる事例、英国の政治家やイスラムを批判した者を襲撃したとされる事例、ロンドンやマンチェスターなど大都市の重要権益や公共交通機関、大衆が集まる場所などを狙った事例などがほとんどである。

これらのテロ事件は、アルカイダなどのイスラム過激派の正式なメンバーが英国に入国し、綿密な準備をし、テロ攻撃を実施しているわけではない。以前と比較して欧米各国は、9.11同時多発テロの経験により国際協力のもと厳重なテロ対策を実施しているので、網羅的にデータリスト化された過激派メンバー個々人が欧米各国へ入国し、そこで自由にリクルートを行い、洗練されたテロ攻撃をすることは非常に難しい。アルカイダネットワークもそれを熟知しており、よってインターネットなどのグローバル化した通信手段を用い、メンバー募集や犯行声明、爆弾を製造するための簡素化されたマニュアルをウェブサイトに公表し、欧米内に眠る候補者達に自らテロ(Do it yourself terrorism)を実施することを推奨している。そしてその戦略が功を奏したのか、国際テロ研究的に近年欧米のテロ情勢で見られる特徴として、アルカイダネットワークから候補者達へ実質的にアプローチするのではなく、“候補者達が自らアルカイダネットワークにアプローチする”という現象が見られるのである。

実際テロ対策が強化されている欧州で発生したテロ事件は、ランド研究所のデータより33件中8件がアルカイダネットワークと何らかの実質的なリンケージを持った個人によるテロであると報告されている。そして残りのほぼ7割の事件はアルカイダネットワークとは実質的な関連を持たない個人(一匹狼)による単独テロであるが、それらは未遂や小規模レベルの攻撃で終わっており、攻撃計画や爆弾製造において素人が行っているという特徴がある。

近年英国内で発生した事件もその一匹狼の事例が多く、実際のリスクとしても、ロンドン五輪期間では綿密に計画されたテロ以上に、このような素人による洗練されていない小規模型のテロが発生する方が現実的に考えられる。そのような場合には、この類型のテロの歴史から、ヒースロー空港や公共交通機関の駅など多くの人々が集まる場所はもちろん、国会や欧米系大使館、シティーなどの金融街、さらには欧米人が集まる娯楽施設やシナゴークなどは標的とされやすい。

 2. キリスト系極右主義を信念とするテロの脅威

2011年7月ノルウェー・オスロで77人が死亡するという残虐なテロ事件が発生した。この北欧最悪のテロ事件の単独犯であるブレイビクは、極右主義的な考えの持ち主で、自由主義や多文化主義を信念的に嫌い、政府の移民への寛容な政策を批判してきた。

テロ研究で世界的に有名な研究機関、”Combating Terrorism Center at West Point”が発行する月刊レポート”CTC Sentinel January 2012”の中で、ノルウェー人研究者Petter Nesser が執筆した論文”Individual Jihadist Operations in Europe: Patterns and Challenges”によれば、ブレイビクは自ら執筆したマニフェストの中で、イスラムジハーディストのこのような一匹狼的なテロ手法は、自らがテロを行う意味で非常に参考になったと論じられている。そしてブレイビクはイスラム主義から防衛するのは使命であると述べており、彼は異文化へ寛容な政策を採り続ける政府に不快感を抱いていたとされる。その不満、思想とテロ実行における手段が不運にもマッチした結果、北欧最悪のテロが起きた事に我々は懸念を示さなければならない。

現在世界的に流行しているグローバルジハードの動向は、他のイスラム過激派を自らのテリトリーに包み込む可能性があると同時に、それに相容れない、または全く別の主義、思想を持つグループにテロ計画や手法という実際的、より具体的な部分で強い影響を与える懸念があるのだ。現在欧州では経済危機を中心に失業や経済格差など社会的問題が深刻化し、それに端を発した不満を持つ者がブレイブクをモデルとして、極右的な思想に基づいたテロ事件を実行するというリスクにも注意が必要だ。

3. 地域的な領土紛争に由来するテロの脅威
最後にもう1つ補っておきたい。それは北アイルランド紛争に由来するIRAの存在である。IRAは現英国領である北アイルランドを英国から分離し、北部6州とその他26州を統合することを目的とする分離独立型の地域的なテロ組織である。IRAは設立当初から長年北アイルランドやロンドンにおいてテロ事件を発生させてきたが、1997年に英国と停戦合意に達し、05年には武装闘争終結を宣言しており、近年際立ったテロ活動は行っていない。しかし97年の停戦合意に異を唱えたIRAの強硬派(真のIAR)はそれ以降もテロ活動に積極的で、90年代後半は北アイルランド・アーマー州を中心に度重なる爆弾テロ事件を引き起こし、2000年代に入ってからもロンドンで複数の小規模テロ事件に関与した。そして近年では09年に北アイルランドの英軍基地で、真のIRAのメンバーが兵士2人を射殺する事件が発生し、今後もテロを継続する趣旨の声明を発表している。しかしながら、IRAは現在オリンピック開催を迎える英国が懸念する第一義的な脅威とは認識されていないと考えられる。

②近年世界的な政治、スポーツイベントを標的としたテロ事件
テロリストにとって世界の注目が集まるイベント時にテロを行う事はメリットがある。注目度が集まっているだけに、何か起これば反射的にそのダメージも大きい。よってそれはテロリストにとってのメリットでもあり、近年においてもその開催最中を標的としたテロ事件は発生している(図1参照)。

図1 国際的イベント開催時におけるテロ事件(筆者作成)

  • 2005年 グレーンイーグルスサミット開催時(ロンドン同時多発テロ) 
  • 2008年 北京オリンピック開催時(中国国内でテロ事件や襲撃事件) 
  • 2010年 南アフリカサッカーW杯(決勝戦中、ウガンダで爆破テロ) 
  • 2010年 ストックホルムノーベル授賞式(単独犯による車自爆テロ) 
  • 2012年 ロンドン五輪?? 
  • 2014年 ソチ五輪??

05年7月、英国がホスト国となった先進国主要サミットがスコットランド・グレーンイーグルスホテルで開催された。先進国の首脳が集まり、国際問題を議論するこの政治イベントの世界的な注目度は非常に大きい。よってテロリストにとって戦略的な観点から、世界的な注目が集まっているこのタイミングに英国内でテロ攻撃を実行することは、違う時期に英国でテロを引き起こしたり、イラクやアフガニスタンで日常的なテロを繰り返すより、国際レベルにおけるより強い政治的ダメージや心理的脅威を拡散できる可能性は非常に高い。

実際ロンドン同時多発テロの実行犯がそれを熟知の上、事前に巧みなテロ計画を構築していたかについての詳細は分からないが、偶然そうだったと結論付けることは、英国が置かれるテロ環境やタイミング的にも難しいと言わざるを得ない。そして北京オリンピック当時にも、中国当局がアルカイダの関連組織と位置付けるETIM(東トルキスタンイスラム党)によるテロ予告や襲撃事件が複数発生し、その活動は非常に活発となった。そして北京五輪後、その活動は依然として継続しているが、北京五輪時における盛り上がりほどでは決してない。2010年ではオリンピック以上の盛り上がりを見せるサッカーワールドカップ南アフリカ大会において、イラクのアルカイダ(AQI)が米国対英国の試合においてテロを実行するという報告が報道機関からなされたり、スペインとオランダの決勝戦最中には、ウガンダの首都カンパラでそれをパブリックビューイングしていた人々を標的とした爆破テロ事件が発生したのである。それを実行したのは現在アルカイダネットワークでも最も活発的なイスラム過激派であるソマリアのアルシャバブで、以前に彼らはアルカイダとの共闘を宣言し、英国からソマリアへ渡るソマリア系英国人も多い。さらに世界的に優れた科学的功績を残した学者へ与えるノーベル賞授賞式においても、その近くで過激化した欧州出身のムスリムによる自爆テロ事件が起こっている。もちろん日常的にテロ事件は世界各国で発生しており、これらはそのほんの一部にすぎないが、このような事例の連続を偶然の連鎖でしかなかったと結論づけることができるのであろうか。

ロンドン五輪における自国産テロリストの脅威、そして2年後のおけるカフカス首長国(ロシアのイスラム過激派)の脅威は、このような過去の教育から我々は学ぶ必要があると思われる。

③実際ロンドン五輪を迎えるにあたり、気を付けるべき点は?
実際のリスクの観点から、英国が抱えるテロ情勢の中で日本人を直接の標的とするテロが発生するリスクはほぼないだろう。しかし“標的とされる”と“巻き込まれる”事は実際の被害においては同じような具体的結果として表面化するかも知れない。

テロリストと一般犯罪者の違いは、その後の対応に現れる。一般的には自らが犯した一般犯罪について、個人が公に犯行声明を発表し、政治理念的な要求をすることはあまりない。それとは反対にテロリストはそれを自然に行う場合が多い。そのような意味で、より心理的、政治経済的な脅威を拡散できる事はテロリストにとっては非常に有難く、9.11同時多発テロは国際政治を転換させる規模の事件であったという事はアルカイダにとって名誉ある出来事であったと言えるかも知れない。

英国が、上記した特にグローバルジハードとそれに影響された個々人による脅威を抱えているのは、英国のオリンピック開催におけるテロ対策を見れば明らかである。グローバルジハードの動向の研究において世界的にリードする米国、英国、イスラエル、シンガポールなどにある学術機関において発行される論文を網羅的に検証しても、ロンドン五輪を迎える英国が抱える脅威に楽観的な見解を示すようなものはほぼない。

図1に示したように過去の事例からも、さらにオリンピックの歴史では72年ミュンヘン、96年アトランタでもテロ事件が発生していることより、世界の注目が集まるイベント時にテロリストがそれを格好の機会として認識しない事はあまり考えづらい。ロンドン五輪開催時、その直前には重要権益施設、公共機関などでは警戒レベルが引き上げられ、厳重な警備が実施されると思われるが、ロンドンだけではなく欧米諸国の大都市でも同程度のテロ対策が実施される可能性もある。結果論、ロンドン五輪で未遂を含めたテロ事件が発生しない事を祈ってやまないが、このようなリスクについて東日本大震災を経験した日本人は、危機管理的観点から学ばなければいけないと筆者は考える。

 筆者紹介 
和田大樹 1982年4月生まれ、中大法学部卒、同大学大学院修了。安全保障論や国際政治学が専門で、国際テロ情勢やグローバルジハードテロリズムの動向を主たる研究内容としている。海外研究機関や学会、総合誌や新聞などに論文や論評を多く発表。最近の論文に、”Perspectives on the Al-Qaeda”
(International Centre for Political Violence and Terrorism Research ナンヤン工科大学S.ラジャラトナム 国際関係研究所), 「国際社会における中国の台頭とグローバルジハード」、「欧米におけるホームグローンジハーディストの動向」(社団法人 日本安全保障・危機管理学会機関誌)、「原子力発電所を標的とした国際テロの脅威」、「ソマリア過激派に浸透するアルカイダの脅威」(論壇誌“撃論”)など。