ベネズエラ問題から、国際法と米国の立ち位置を考える(写真:Adobe stock)

民主主義と専制主義の分断から統制に

前回で語った分断構造の一つである「国際社会の民主主義と専制主義」のあらわれであるベネズエラ問題に関して触れさせていただきたい。

これまでのオールドメディアの傾向では、この種のニュースは「日本国内の国益優先と反日的主張」という分断構造の、反日的立場から反米視点で語られることが多かった。が、今回は比較的双方視点で報じているように感じる。

それでも、報道ではないワイドショーの類、専門家でもないレギュラーコメンテイターの面々の多くは、従来と同じように偏り、むしろ悪目立ちしている感もあった。

国際法が無力化しているという現実(写真:Adobe stock)

それらの批判の特徴は、米国の行動を「国際法違反」とする1点だ。確かに国連憲章をはじめとする国際法の枠組みでは、他国の指導者を他国領内で軍事行動をともなって連行する行為は間違いなく「国際法違反」だろう。しかし、通常の国内法と比較して「法」として同様に成立し得る要件を満たしているのだろうか。

国内法の場合、警察・検察が捜査の結果立件し、司法判断を受けて初めて違法行為と決定し刑が執行される。一方、国際法の場合は警察機能が存在しないし、たとえ国際司法裁判で決しても何ら拘束力もなく刑の執行は行えない。国連決議も有名無実化し、安保理の常任理事国自身が国際法違反行為を繰り返し、拒否権発動を乱発する。

米国は「世界の警察」として動いたのか(写真:Adobe stock)

かつては米国が国際社会の警察として国際紛争解決に活動しており、それ自体が違法といえば違法なのだ。それがわかってるから、米国は国内法の執行というかたちをつくったのだろう。そしてもし国際法違反としても、この容疑を裁き刑を執行することはできず、国内法に置き換えたら不起訴扱いと同じではないだろうか。

そして何より、米国の行為を国際法違反とするなら、ベネズエラのマドゥロ政権は合法なのかという疑問がある。

ベネズエラは元々豊かな国で民主主義国家であった。チャベス大統領、マドゥロ大統領を経て、ハイパーインフレを起こし10兆円が1円になる規模のデノミの末、貧困国になっている。国民の3分の1近くともいわれる800万もの人が国内に脱出している。

世界有数の埋蔵量を誇る産油国が中国利権に絡めとられ、その約8割もの量が中国に格安で奪われ、貧困は極まっている。大統領選挙も不正があったとされ、国際社会の多くの国は政権の正統性を認めていないのが実態である。

つまり独裁者による国民への人権弾圧といわれても仕方がない状態にあり、その秩序回復に現状の国際社会の枠組みでは機能できないのである。その証拠に国外逃亡しているベネズエラ国民の歓喜の声は多数報告されている。

もちろん、米国の利己的な行動であるか、国際秩序回復の行動なのかは現時点で答えは出ない。その答えが出るには時間がかかるだろうし、答えを出すのはベネズエラ国民であることを忘れてはならない。