表面に現れた結果がストレートな答えとは限らない(写真:Adobe stock)

日本特有の分断に終止符を打てるか

歴史というものは、後から振り返ってその変化が劇的なものと評価され、渦中にある当事者、その時代に生活する一般人からはあまり実感できないものだ。それでも激動の空気が少なからず伝わっているのは、もう抜き差しならない状況に至っているあらわれだろう。

今回はその激動のなかで、前々回に示した日本特有の分断構造「日本国内の国益優先と反日的主張」が終焉に向かう可能性を論じたい。

この原稿をしたためているのは1月末、衆議院の解散となり選挙戦が戦われている最中だ。本稿をお読みいただくのは、おそらく投開票結果が出た後だろう。それゆえ情報面で若干のギャップがあることはお許しいただきたい。それでも、マクロ的な流れは間違っていないと確信している。

権力闘争の勝敗が必ずしも民意をあらわすわけではない(写真:Adobe stock)

今回の選挙で表面に現れた結果がストレートな答えとは限らない。民主主義における民意と、選挙という権力闘争の勝敗が完全に一致するわけではないからだ。これは選挙制度の問題でもあり、その問題を逆手にとった戦術が常套手段となり、有利に戦うための必要条件とまでされている。

このこと自体は民主主義の本来的な弱点であり、グローバル社会でも同様の構造だ。この悪しき傾向は情報の構造変化、フローからストックに変化することで多くの人にその問題性が認識され始め、日本でもすでに一昨年の兵庫県知事選挙などで従来戦術が通用しない事例が出てきている。

パフォーマンスとスキャンダルしか武器がない状況が「反対のための反対」を助長(写真:Adobe stock)

日本の他と異なる分断構造は、55年体制の自民一党内での疑似政権交代構造にあることは以前語った通りだ。それゆえ現実を度外視した「反対のための反対」というパフォーマンス、スキャンダルしか有効な武器がない状態に陥り、結果、生じてしまった分断と考えている。メディアも現実の問題よりパフォーマンスやスキャンダルが数字になり、そこに巨大なエコーチェンバーが生まれ、分断を助長してきた。

しかし、国会中継をはじめとする多くの言論がYouTubeで配信され、海外の情報も自動翻訳されて簡単に入手できる。これらの情報が多くなればなるほど、テレビ・新聞というオールドメディアの情報がいかに偏っているかが実感できてしまい、無責任な政治家の発信も直ぐに論理矛盾が指摘されていく。

MBS(毎日放送)は番組で政党を『強くて怖い日本』と『優しくて穏やかな日本』に分類し、当然のように大批判が起きて謝罪に追い込まれた。その弁明も再炎上している。それはそうだろう、日本の選挙の争点にメインエネミーといわれる他国を主語とし、根拠も無茶苦茶なのだから。これまで批判を受けずやりたい放題だったのだろうが、そんな時代は終わった。

そのなかで古い分断構造は遅かれ早かれ終焉を迎えるだろうが、それがいつで、どのように決着するのかに注目するべき状況だろう。