「実は昔、ヘッドハンティングで転職を誘われたことがあるのですが、その会社の安全文化に対する取り組みに納得がいかなかったためにお断りしました」と快活に話してくれたのはデュポン株式会社代表取締役社長の田中能之氏。「コアバリュー(企業理念)にもある通り、安全文化はデュポンの経営の根幹であり、私たちの誇りです」と胸を張る。 

デュポン社は1802年、米国で黒色火薬の製造会社として設立した。危険物質を扱うため、設立当初から「川沿いに工場を建てる」「金属を使わない靴を支給する」「作業着のポケットをなくす」「新しい設備はトップマネジメントがスイッチを入れて安全を確かめる」など、安全に対して積極的な経営を行ってきた。1811年には最初の安全ルールを確立。現在では「農業・栄養&健康分野」「バイオプロセス・ソリューション分野」「高機能製品・素材分野」を中心に世界中で事業を展開する、210年以上の歴史を誇るサイエンスカンパニーだ。 

日本では1961年に現在のデュポン株式会社の前身となるデュポンファーイースト日本社が設立。田中氏は1982年に東京大学大学院理学系研究科化学専攻修士課程を卒業後、同社に入社した。入社当時からデュポンの安全に対する取り組みに対して「面白いな」と共感していたという。 

例えばデュポンでは、全世界において社長以下、従業員全員が、階段では手すりにつかまることがルールになっている。就業中、あるいは就業後に関わらず、会社であろうと駅であろうと、階段ではかならず手すりにつかまらなければならない。さらにユニークなのは、社長であっても手すりにつかまっていないところを社員に見つかれば注意され、注意をした社員には「ありがとう」と感謝をするという。 

また、田中氏が入社した当時から、デュポンでは車に乗る場合に後部座席に座る人もシートベルトを着用することを義務付けていた。まだ日本ではドライバーのシートベルト着用のみが義務付けられていた時代だ。田中社長は「日本でシートベルトの法律ができたころには、私は車のどこの座席に座ってもシートベルトをする習慣がついていました。デュポンは社内のルールがその国の法律より上まわっていれば、社内のルールを優先し、その国の法律が上まわっていれば、その国の法律を優先する。常に厳しい方に合わせているんです」と話す。 

グローバルで事業を展開しているデュポンは、ルールも世界共通だ。タクシーの話1つとってみても、例えば中国ではシートベルトがないタクシーも多いため、必ずシートベルトを完備しているタクシーを予約しなければならないという。

ほかにもリスクコミュニケーションとして、社内で行うほぼ全ての会議の冒頭で「セーフティコンタクト」と題し、安全に関して気づいたことを話し合う場を設けている。アジア太平洋地域では、年に一度は「リフレッシャーズトレーニング」として、全社員が安全に関する講習を受ける。日本国内はもとより、世界を見渡してもこれだけ「安全文化」が根付いている企業は珍しいだろう。 

デュポンには、フェルト・リーダーシップ(Felt Leadership)という独特の言葉がある。これは「リーダーは率先垂範する」という考え方で、安全衛生環境活動においては、役職だけでなく「社員全員がリーダーのつもりでリーダーシップを発揮する」ことが期待される。 

田中氏は「社員全員がフェルト・リーダーシップを持ち、安全に関して常に当たり前のものとして取り組んでいる。これがデュポンの安全に関する強み」と話している。

編集部注:「リスク対策.com」本誌2015年9月25日号(Vol.51)掲載の記事を、Web記事として再掲したものです。(2016年6月15日)

(了)