3.11を振り返る

同日の20時50分、福島県対策本部が福島第一原子力発電所1号機の半径2キロメートルの住民に避難指示を出しました。同日21時23分、内閣総理大臣から福島県知事、双葉町長および大熊町長へ福島第一原子力発電所1号機の半径3キロメートルの住民に対する避難指示、および半径10キロメートルの住民に対する屋内退避指示が出されました。3月12日早朝、国から福島第一原子力発電所1号機の半径10キロメートル圏内の住民への避難指示が発令されました。

この時、情報部門職員は、サーバー室で11日時点のバックアップ用のテープをセットしていました。住民たちは、町内に設けられた避難所から車や町のバスに乗り合い国道114号線を西に進むことになりました。道中は近隣の町からの避難者で混雑し、通常1時間30分程度の道のりを、5~6時間かけて避難先の福島県川俣町へとたどり着きました。町の職員も、住民たちの避難を見送った後に避難を開始しました。すぐに庁舎に戻るつもりであったため、着の身着のままの状態でした。

川俣町に着いてからは、双葉町民の避難所(11カ所)で避難者名簿の作成や食料・毛布等の物資配給が行われました。3月19日にはさいたま市のさいたまスーパーアリーナへ移動しました。さいたまスーパーアリーナには、新潟県刈羽村からプリンタとパソコン各10台が届いており、町職員はこれら端末を使い避難者情報の入力を行いました。埼玉県が、業務に使用するための固定電話を手配しました。3月20日には、情報システム管理を委託していた事業者の支援を受けて、エクセルでの住民情報閲覧を可能にし、突き合わせを行いながら、同日から被災証明書(建物の被災を証明する罹災証明に対して、個人に対する被災証明)の発行を開始しました。3月11日からの異動処理は各業務部門で行われました。同じころ、NTT埼玉の支援を受け、町ホームページの災害版が立ち上がりました。

3月31日には、加須市内の旧埼玉県立騎西高校(2008年に廃校)に行政機能が移転されました。そこで、双葉町埼玉支所として業務を行うことになりました。職員は、3月末と4月初旬に自衛隊とともに双葉町へ一時立ち入りをして、業務に必要な機器や、3月12日にセットしておいたバックアップテープを持ち出しました。埼玉支所にて、このバックアップテープを用いて住民情報システムを仮サーバ(ノートパソコン)で立ち上げ、住民票の発行が可能となりました。支所内ネットワーク構築とインターネット接続は4月初旬に行われました。4月18日に、税証明、住民票、戸籍謄抄本、印鑑証明発行業務を再開しました。

4月22日には、双葉町内全域が警戒区域になりました。現在は福島県いわき市にあるいわき事務所に行政機能が移っています。

双葉町埼玉支所入り口(写真:2012年1月12日撮影)