残りにくい教訓

保坂氏:事実そのものが隠蔽された以上、東南海地震、三河地震からの教訓は得られなかったといっていいでしょう。
その反省でしょうか、古い世代の人たちが、自分の体験、自分の記憶として話をするけれども、きちんとした資料も残っていない、教訓も残されていない。それは伊勢湾台風のときも同じじゃないかという声があがったんですね。
昭和34年(1959)9月の伊勢湾台風の犠牲者は5000人に及びました。東南海地震、三河地震に比べれば、災害対策基本法(昭和36年制定)や都市計画などに多くの教訓は得られています。しかし、記憶が記憶として伝えられているかと言えばそうではない…。(中略)。天災に対応した人間の行為しだいによって歴史そのものがマイナスを背負い込んでしまう。教訓も残らない、教訓化されるべき記録も残らないとすれば、それはまさに人災ですね。そうしないための動きが草の根のレベルで出て来た。とてもすばらしいことではないでしょうか。
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保坂氏:資料隠ぺいに関して、われわれの先輩はすでに重大な失敗を犯しています。戦争に負けた時に、すぐに書類を焼いてしまった。昭和20年8月14日の閣議で、さらに大本営などが行政や軍事機密の末端まで、資料を焼却せよとの命令を出した。
そのおかげで私たちは恥ずかしい思いをしています。たとえば従軍慰安婦問題。記録がないから事実が存在しないということはないでしょう。もし、記録があればそれに基づいた冷静な議論、堂々たる主張だってできるはずです。それがないから話がこじれる。
こちらが「軍の関与を示す資料はない」と、いくら言っても、「おまえの国は資料を平気で焼き捨てる。そんな国家を信用できるものか」と返されたら言葉に詰まってしまう。情けない話です(引用者:保坂氏の発言につけ加えることはなにもない。その通り、と深くうなずくだけである)。

謝辞:「戦争と天災のあいだ」(保坂正康・姜尚中対談、講談社)から引用させていただいた。お礼申し上げたい。

参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」、筑波大学附属図書館資料。

(つづく)