強き組織となるために

写真を拡大シティオブロンドンのバンク駅にて

ロンドンオリンピックBCP に学ぶこと

ニュートン・コンサルティング株式会社 代表取締役社 

                         副島一也氏

「オリンピックとBCP」。一見関係ないように思えるが、世界中から多くの人々が押し寄せるイベントは明らかに平時とは異なる状況を生み出す。考え てみれば、何らかの事象に対し事前に備えるという点では地震対策と通じるものがある。人命にかかわるような大きな被害を出さないにしても、交通渋滞で人々 が動きにくくなる、通信がつながりにくくなる、物資が手に入りにくくなるという意味では、これも「災害」と言っていいのかもしれない。イギリスにおいてこ の事前対策にBCPという言葉が明確に使われている点は大変興味深い。

今回、「オリンピックに備えたBCP」というテーマで多くのイギリス のBCP専門家を訪ね、その取り組みについていろいろな角度から議論をしたが、日本との違いを感じた大きな点は、リスク対応の限界に対する考え方である。 個人的な見解ではあるが、イギリスでは、1つの組織がすべてのリスクについて責任を取ることは難しいことをはっきり示す傾向が強い。

BCPの対象リスクとは?
そもそもBCPが対象とするリスクとは何だろうか。災害やテロ、事故、インフルエンザが含まれることには誰もが納得をするだろう。しかし、子どもからお年寄りまで皆が待ち望むイベントまでも対象とすることにどのくらいの理解が得られるだろうか? 

た とえば今年5月に発行された事業継続計画の国際標準規格であるISO22301を参考にしてみると、「組織を取り巻くあらゆるリスク」を検討することを求 めている。日本では、BCPと言えば、まずは「地震」次に「新型インフルエンザ」、「風水害」と、大規模災害ばかりを考えるのに対し、イギリスでは、そう した特定の原因事象に話題が集中することはまずない。 

今回、イギリスで多くのBCP担当者が口を揃えて言っていたのが「イギリスにはあり とあらゆるリスクが日々発生している」ということ。テロ、火事、水害、通信障害、交通問題、停電、ストライキ、デモ、暴動…。私も英国での暮らしが長い が、確かにそう感じる。日本は単一民族で穏やかな国ということもあり、緻密に計画された通りに物事が動きやすい。一方で、大規模、広域な自然災害が多く、 甚大な被害をもたらす。つまり、イギリスと日本では、日常的に考慮すべき対象リスクが異なり、当然、BCPの対象とするリスクも異なってくる。そう考えれ ば、目前に迫ったオリンピックにBCPの観点から対策を講じる姿にもうなずける。

“いくら詳細に分析を重ねても、
起きうる事象を正確に予測することは不可能。

危機管理は、実際に起きたことに対し、
迅速・柔軟に対応することが求められる。”

どのプロセスに時間をかけるのか?
イ ギリスでの取り組みで特に印象的なのは「演習」である。Olympic Delivery Authority本部のあるロンドンの新金融街カナリーウォーフ地区では、FSA(金融庁)や金融機関全体を巻き込んだマーケットワイド訓練が実施さ れ、また政府機関ではアールズコートにオリンピックにおける危機管理の演習用シミュレーションセンターを立ち上げ、政府、警察、消防や33のロンドンの自 治区を巻き込んだ大規模演習が3カ月に1度という頻度で実施されていた。シミュレーションセンターには33の自治区を統括するローカルガバメント・コマン ドセンターがあり、各地区で、ありとあらゆるシナリオでの演習が積み重ねられていた。平時の指揮系統、協力体制とは異なる状況での対応について訓練するこ とが目的で、当初は大変混乱したが、今では同じ事案に対して、参加組織が全体で対応にあたれるまで成熟していると聞いた。オリンピックはロンドン全域を含 む広範囲で対応する必要があり、しかも実際は何が起きるかわからない。演習を重ねることによって、さまざまな状況に慣れ、対応能力を上げようという試みは 大いに参考になるものだと思う。 

では、我々日本での取り組みはどうであろうか? 正直、日本人は演習をやらない。特に混乱が起きるような演習は嫌いだ。現場でリーダーが戸惑うような演習は、どうにも設定しづらいものだ。その代り、でき るだけ個人に判断をさせずに済む事前準備が万全の訓練を好む傾向にある。今回、イギリスの内閣府に出向したことがあるという人が、過去に日本の内閣府の人 と会談した際のことを話してくれたが、日本の地震対策の話は大変参考になったとコメントしていた。間違いなく日本の地震対策のBCPは世界に誇れる活動で あろうと思う。 

ただし、1つだけはっきりしておきたいのは、被災想定やそれに基づく行動計画の限界である。いくら詳細に分析を重ねても、 起きうる事象を正確に予測することは不可能であり、危機管理は、実際に起きたことに対し、迅速・柔軟に対応することが求められる。万全な準備をするだけで なく、対応能力を上げることも重要なのは明白だ。 

イギリスで今回興味深かったことに、公的機関や大組織が、市民や社員という個々人に対して、「オリンピック期間はできるだけ休暇を取りましょう、ロンドンを離れましょう」と注意を呼び掛けていたことがある。ロンドンの交通機関は普段から脆弱だ。

地 下鉄は狭く、車両にはエアコンは無い。信号の不具合で頻繁に止まる。TfL(ロンドン交通局)では、どの時間帯にどの交通が混雑するか、代替の交通手段は 何かなどの情報を示すヒートマップ等を用意して対策を急いでいるが、基本は「できないものはできない」と限界を示し、国民の期待値をいたずらに上げずに、 事実を示し、最終的には個人の責任で行動することを促そうとしている。日本では、政府、組織、主催者が安心・安全のためにすべての準備を整え、個人の責任 をできるだけ排除しようとする傾向が強いように感じる。しかし、どこかに限界があることも、組織・個人ともに認識する必要があるのではないだろうか?

BCPとは組織の文化・力量を反映する
日 本ではBCPを100年に1度のための対策と捉えがちであり、そのことが、BCPを平時の付加価値に使うということに疑問符を投げかけている気がする。世 界の動静がダイレクトに伝わり、変化の激しい時代を力強く生き抜いていくためには、平時から自組織の対応力を強化し、いざという時に速やかに動ける能力を 高めなくてはならない。

いざという時に、使える資源は限られる。批判を恐れずにあえて言うなら、原材料、エネルギー資源、販売先…、早く動 いたものだけがそれらを獲得でき、活動が継続できる。まして普段から人員、資金、在庫など余裕のないオペレーションを行っていれば有事の際に身動きが取れ るはずがない。災害にせよ、イベントにせよ、平時と違う何かが起きてからそれを変えようとしても間に合わない現実が待っている。有効な事業継続計画への取 り組みは平時の文化、体力から始まっている。 

イギリスにも日本にも、BCPの取り組み方には一長一短があろうが、現在我々が置かれている 環境下で自組織をどう経営すればよいのか、そのツールの1つがBCPの取り組みであることを強調したい。緻密な計画立案に力を発揮する日本型の進め方と、 ダイナミックに演習に取り組むイギリス型の双方をうまく取り入れることで平時からの組織力を鍛え、有事の対応力の高いBCPを実現し、ひいては目指したい 組織文化の醸成、組織の体力強化にまでその力を発揮できる、そんなBCPの活動を目指したいものだと思う。

写真を拡大タワーブリッジ前にて。右から2番目が筆者。一番右は通訳として同行した弊社の安藤直子、左はリスク対策.comの中澤編集長と現地の取材調整をしてくれたCharles Underwoodさん