2012/11/25
誌面情報 vol34
∼そこに危機管理は機能していたのか∼
37人が死傷した日本触媒姫路製造所(姫路市)のアクリル酸中間貯蔵タンク爆発事故は、日本の危機管理体制における問題点をまたも浮き彫りにした。「もし米国の企業や消防ならどのような対応を取っていたのか?」。こんな質問を在日米陸軍消防本部消防次長の熊丸由布治氏にぶつけてみた。
1.米軍消防の危険物災害対応
米国防総省の管轄下で任務に就いている米軍消防は、日本触媒姫路製造所で起きたような危険物災害に対応する際、※NFPA472「危険物/大量破壊兵器災害出動要員能力適正基準」に基づき活動することにしている。特に初動対応時における現場での現状分析に関しては今回の事故でも参考となる指針が含まれているので紹介したい。
米軍消防では各消防車両に米国運輸省で発行しているEMERGENCYRESPONSEGUIDEBOOK(緊急時応急措置指針:通称ERG)という参考文献を積載している。すべて英語だが中身はシンプルに構成されているので日本人の隊員でも辞書を引く感覚で使うことができる。ERGは、黄、オレンジ、白、青、緑と用途に応じてページが色分けされて整理されており、緊急時でも調べやすく工夫されている。“白ページ”には危険物質の標識とその解説、輸送コンテナの形状や搭載危険物質の認識番号などが一覧表でまとめられている。“黄ページ”では危険物質の名称が国連のID番号順に、青ページ”“にはアルファベット順にそれぞれ掲載されている。仮に危険物質の名称、スペルがわからなくても、標識などに記載されているID番号さえ分かれば物質名が特定できる仕組みだ。それぞれの物質には、それに対応するための指針番号が付与され特に危険性が高い物質は緑のマーカーでハイライトされている。“オレンジページ”には、それぞれの物質の特性や、健康への影響、消火にあたっての注意点が記載されている。“緑ページ”には緑のマーカーでハイライトされた物質に対する初期隔離距離および風下での防護距離に関するガイドラインが掲載されている。
■アクリル酸への適切な対応
今回、日本触媒で発生した事故は“アクリル酸”の火災なので、ERGから“アクリル酸”を引くと「132P」という指針番号が導き出される。132PのPは“Polymerization(化学重合)”の“P”である。このPが付いている指針番号の物質は熱や他の物質との化学反応(重合反応)により熱を伴う爆発の危険性を第一に考えなければならない。
指針番号132には下図のような事が記載されている(今回は単なる漏洩事故ではないので火災に対する指針のみを抜粋し、応急手当の部分も割愛した)。
■初期初動の戦術
以上ERGから導き出された対応措置を考慮に入れて初動対応における戦術を組み立てるとすれば次のように考えられる。
(1)緊急対応要員以外の従業員は即座に半径800メートル以上離れた場所に避難させる。
(2)近隣の住民も同様に避難させる。
(3)自衛消防隊は無人放水の消火態勢を整え実施する。
(4)3の措置が不可能な場合、延焼防止の戦術を優先し 当該タンクに対しては不干渉の戦術をとる。
これらのアクションプランをいかに現場へ伝達し戦術として反映するかに関してはインシデント・コマンド・システム(ICS)と呼ばれる現場指揮システムを採用することが米軍消防では義務付けられている。先着隊の自衛消防と応援に出動した公設消防との間で情報と戦術を共有し緊急出動要員の安全第一の活動が望まれる。またERG以外にもMSDSの中の指針や、WISERと呼ばれている無料アプリなどを活用し初動時の現状分析に役立てれば良い。
2.企業側の対応
自衛消防隊の職能基準も次項下にあげるNFPAの文献の中に示されている。米国では企業が抱える自衛消防隊も公設消防に勝るとも劣らない基準を設け、プロボードと呼ばれる第3者機関から認証を受けている。特に危険物を保有している工業用施設の自衛消防隊はテキサス州にあるTEEXのブライトン・ファイアー・トレーニング・フィールドなどで実火災を想定した消火訓練施設で実践的な訓練を受講しNFPAの基準に適合した資格を取得している。 日本でも横須賀にある「海上災害防止センター」で石油コンビナート等災害防止法において規定されている企業の一部は訓練を受講しているようだが、もっとあらゆる企業に浸透して欲しいと思う。
また、ここでの注目すべきポイントは企業が抱える自衛消防隊も公設の消防も共通するインシデント・マネジメント・システムの下に活動しているということではないだろうか?今回の事故においても通報の遅れや相互のコミュニケーション不足が報道されているが、危険物・大量破壊兵器災害へ出場する要員は必ず前述の「インシデント・コマンド・システム」(ICS)を採用するよう義務付けられている。
3.連絡調整・指揮統制
原因者である企業側が初動において、まず事故の鎮圧に全力をあげて取り組むのは当然であろう。しかし事前の災害計画の中でアクリル酸タンクの火災を想定した防災計画は存在していたのだろうか?と疑問に思うのは私だけではないだろう。 前述のNFPA1620では事前の災害計画に関する指針も示されているが、次のような項目を盛り込んだ防災計画が望ましい。
─事前計画と外部とのコーディネーション
─個人の役割、権限、訓練、コミュニケーション─緊急事態の認識と予防
─安全距離と避難場所
─現場の隔離(警戒区域)とコントロール
─避難ルートと方法
─除染
─緊急医療措置とファーストエイド
─緊急警報と対応手順
─対応の評価とフォローアップ
─個人防護具や資器材
このような防災計画を準備した上で実災害が発生した際には次の手順でプロセスを踏めばよい。
1. 事案の分析
2. 指揮命令系統の確立
3. 関係出場部隊に連絡
4. 相互援助協定の発動
5. 対応計画の実施
6. 事案の終焉
やはりこの中で重要なのは指揮命令系統の確立だ。この中には当然、相互の連絡調整コミュニケー・ションが入ってくる。また自衛消防隊から公設消防への指揮権移譲についてもスムーズに行われなければならない。このような連絡調整・指揮統制は繰り返し行われる訓練によってのみ養われるものなので防災計画だけが綿密に準備されていても片手落ちであるということを付け加えたい。
今現在も事故の検証が行われているはずだが、消防士の殉職は本当に心が痛む。10月17日朝日新聞の朝刊に「化学工場相次ぐ爆発」“団塊退職で対応力不足か”という記事が掲載されていたが、果たして事故原因を団塊世代の退職ということで片付けてしまってよいのか?標準化された対応指針や訓練の必要性をもっと議論するべきではないだろうか!?
自分は決してアメリカ流のシステムが最善であるとは言わない。むしろ日本人がそれを参考に日本流のスタンダードを構築できれば最強だと信じている。
311のような広域複合大規模災害をはじめ危険物や大量破壊兵器を用いた特殊災害などに立ち向かう為の対応能力を向上させ、未来の子供達のために安心できる社会を構築するのが我々の責任だ。
※本寄稿は在日米陸軍としての公式見解ではなく、あくまでも熊丸個人の見解である。したがって見解に対する誤りがあれば全て私の責任である。
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