他の多くの場所と同様に、ニューヨーク市においてはテロの脅威が現実のものである。ニューヨーカーはそれを不安に感じているが、われわれは毎日の生活に精を出している。なぜならば知事が今日言ったように「もしわれわれが自分たちの生活を変えるならば、それはかれらに合わせて自らを捻じ曲げることになり、彼らが勝利し、われわれが敗北することになる」からだ。

しかし災害専門家としての私の生活は、テロを心配する毎日である。というのは私と私のチームは、このきわめて現実的な脅威に対して可能な限り準備をする、そのことを確実にするために日々、朝から晩まで奮闘努力しているからである。われわれのコミットメント、われわれの組織のコミットメントの故に、ニューヨーク市立大学ランゴーンヘルスがその脅威に対する備えができていないとは思わない。同じ理由で、ニューヨーク市がその脅威に対する準備ができていないという心配もしていない。

しかし私が心配しているのは、今日この攻撃を実行したものよりもずっと悪賢い者たちがいることである。われわれにねらいの照準を合わせているより大きな意図、より潤沢な資源、そしてより高い能力を持つ者たちがいる。それらの輩は、ニューヨーク市とニューヨーク州の相当のレベルにある能力さえ圧倒する、国を挙げた、さらには国際的な対応を要する規模の攻撃をしでかすことができる。

私はそうした攻撃のインパクト、死者やカオスのことが心配である。しかしおそらくより気がかりなのはインシデントそのものよりもその後のこと、国としての対応能力のことである。災害対応の仕事に従事して20年近くになるが、はっきりしているのは、今私がこうして座しているとき、大災害に襲われた市の支援へ向けて国を一つにまとめる計画もプログラムも能力もないということだ。それが私のとても大きな心配事である。

通りを行く男の人、女の人、学校の教師、証券ブローカー、バーテンダー、誰でもよい、呼び止めて聞いてみるとしよう。「連邦政府は大規模なテロ攻撃にあったニューヨーク市を助けに来てくれるだろうか?」と。

「もちろん来てくれるわ」と言うだろう。
なぜそう信じているのか聞けば「世界で一番豊かで、力のある国ですもの。大きな資源と最新のテクノロジーツールと大勢の賢い人たちがいるでしょう」と答えるだろう。

それらは全て正しいのであるが、幸運なことに彼女はそれを知らないだけで、不幸な現実、隠されたクライシスがあるのだ。彼女が知らないのは、われわれの政府はそれらの資源、テクノロジーのツール、人材をニューヨーク市あるいは他の市の支援に向けて一つにまとめるという組織化を怠ってきたということだ。つまり大災害の事後対応に際して、彼女、彼女の家族、周りの人たちを支援するために、それらを動員して、一つにまとめることはできないということだ。

アメリカ合衆国は、最悪の事態において市民を救援しに来る能力を持っていない。

ただそこにないというだけのことだ。

果ての国だからだ

この本では、最悪の部類のシナリオを、マリア級の災害、大災害、ブラックスワンなどいくつかの名称で呼んできた。あなたは果ての国、一連の大災害の脅威の衝突針路に乗っている超モダンな社会に生きているのだと説得しようとしてきた。大災害が起きることを期待しているわけではないが、いつ起きてもおかしくないように思われる。それらに対する備えを、自分でするのではなく政府に依存している。しかしわれわれの政府はそれをしていない。

これはだれもが耳にしたくないメッセージであるが、問題を生じさせた責任があるわけでもないし、それを解決する立場にあるわけでもないあなたのような人にとっては特にそうであろう。しかし好むと好まざるとにかかわらず、あなたはそれに巻き込まれているのだ。というのは、いつかあなたもその現場に身を置くことになる可能性があるからだ。あなたは一つの世界で眠りに落ちて、もう一つの世界、パラレルな宇宙で、ドラゴンに対峙して、目を覚ます。

(続く)

翻訳:杉野文俊
この連載について http://www.risktaisaku.com/articles/-/15300